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フランク社長と塩の平原に立つ


インド洋に面した西オーストラリアのパースから、小型のプロペラ機をチャーターして内陸部に向けて飛び立った。幻の塩湖といわれるデボラ湖を訪ねる旅の始まりである。眼下には見渡す限りの畑が広がり、やがて景色が、潅木と赤土の織りなす大自然の原野に変わる。しばらくすると蛇行した河の跡に取り残された池が点在する。微かに茶、ピンク、黄緑、白色に彩られ、地表に咲いた花のような幽玄な世界が広がる。突然、潅木に囲まれた真っ白い塩の平原が現れた。デボラ湖である。飛行機は塩の平原を旋回し始め、潅木を切り開いただけの滑走路に向かって降下、機体が吹き上げる上昇気流に煽られて、ふらふらっとランディングする。

十一月の西オーストラリアは夏の乾期で、干し上がったデボラ湖は、強い太陽の日差しにキラキラと輝き、白い塩の結晶で覆い隠され、眩しいばかりの雪原の如く変貌していた。

パースから案内に同行してくれたWAソルトサプライのフランク社長の話では、このデボラ湖は、太古よりインド洋からの潮の泡沫が海風に乗って飛来、五百万年もの悠久の時間をかけて降りそそぎ、七千万トンを超える乾燥した海水ミネラルが堆積してできたもので、百五十万年前、地震による地殻変動で河が出口を失って大平原の低地に取り残され、雨期にだけ、その姿を見せる幻の塩湖となったそうである。縦が二十キロ、横が十キロの巨大な塩湖である。

デボラ湖の春は、サンダルウッドの森に囲まれた湖畔に淡いピンクの花が咲き乱れる美しい塩湖である。雨期になると雨水が地層に浸透し、堆積した海水ミネラルを溶かし、濃い塩分を含んだ塩湖となるが、夏の乾期に入ると、強い太陽の日射しで四〇度を超す気温と風によって、水分が急速に蒸発し、二ヶ月程で塩湖の姿が全く消えて白銀一色の塩の平原となる。それは、人手を一切拒んで大自然が創りあげた天日塩である。塩湖として名高い米国のグレートソルトレイクやイスラエルの死海のように、常に満々と濃い塩水に充たされた塩湖と違って、自然のサイクルにそって、夏の乾期にだけ塩を収穫する。「ここデボラ湖は、神様が全ての塩づくりの仕事をして下さいます。人は必要な量だけの天の恵を収穫できます。今年はサイクロンが二度も来て雨を降らせたので、もう一度塩が採れ、ラッキーな年でしたよ」と彼は愉快そうに語った。



デボラ湖の塩資源は、一九四四年の乾期にフランク社長の祖父が発見し、家族経営で開発されたものである。デボラ湖一帯は、いまだに未開の土地で、湖の周囲五十キロ四方は、野生のカンガルーや駝鳥の一種、エミューなどの野生の動物が生息するだけで、人家もなく、塩の収穫期の二、三週間だけキャンプを張り、作業が終わると人は去っていく。自然環境の保全地区である。
南十字星が輝く夜、白銀の湖面から満天の星空を仰ぐと、幾つもの流れ星が星座の端から端まで長い軌跡を描いて消えていく。それはそれは美しい眺めだという。早朝、静寂な空気を破って、塩湖を横切るエミューの群れの足音で目を覚ますこともある。全ての営みが大自然に包まれている。



デボラ湖塩の初出荷風景

塩の平原に立って塩を舐めてみると、まろやかで後味がほんのりと甘い、天性の良質な塩味である。この塩はミネラルバランスが非常に良く、マグネシウムを多く含んだミネラル塩で、マイルドな美味しい塩だと彼は自慢する。一般的に塩田では結晶を大きく育晶させるが、デボラ湖の水深は約三十センチと浅いため、水分の蒸発が早く、育晶の時間が短いので、海水ミネラルの母液に包まれた小粒の塩の結晶となる。まさに、これが“バージンソルト”である。

全く環境汚染のないデボラ湖塩は、[人的、化学的に手を加えられていない天然素材による自然収穫物]という観点から、豪州のBFA※よりオーガニック塩の認定を取得している。ここで収穫された湖塩は、二十キロ離れたところにある単線の大陸横断「キイナナ鉄道」で週二回、パース近郊のフリーマントルの工場に運ばれ、そこで洗浄し異物を除去、滅菌乾燥してパッキングされる。 

フリーマントルは、パースから河を下り、スワン湖を経て海に出た港町である。英国風の家が軒を連ねた表通りでは、紫の花が咲き乱れたジャガランティーの樹の下で人々が午後の紅茶を楽しんでいる。午後になるとインド洋から夏の朝のそよ風のような涼しい風が吹き、この潮風を浴びると病気にならないといわれ、土地の人はこの風を“フリーマントルのお医者さん”と呼んでいる。

※BFAはBiological Farmers of Association の略


著者略歴/昭和14年生まれ。塩問屋の栃木塩業三代目を継ぐ。平成9年、(協)日本塩商理事長に就任。同14年4月、塩の完全自由化に伴い、塩の専門商社をめざして、ジャパンソルト株式会社を設立。社長に就任。


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