クリスマスからお正月、日本て慌ただしい国。二十五日が終わると、デパートの壁面のサンタクロースやトゥリーの派手な飾りが取り去られ、お正月風のタコやトラになる。
もっともアメリカだって似たり寄ったり。十月三十一日のハロウィーンに続いて、十一月第三木曜のサンクスギヴィング、そしてすぐクリスマスになだれこむ。でもキリスト教国ではクリスマスの飾りは一月六日までおけるから、日本よりゆったりできる。
衣替えの習慣のばからしさと似て、私はどうも、二十六日からくるり変わる「飾り替え」が好きでない。世間のしきたりでなく、もうちょっと自分の好みで暮せない? と思う。
しきたり面倒という点では、新聞の調査を見ても、おせちをとらない家庭が増えてるらし
い。うなずける。おせちを商売にしているお店にはわるいけれど、昔はご馳走であり、主婦がお正月は働かないですむ「つくり置き」の意味があったけれど(もっともそのために主婦はてんてこ舞いだ)、甘い味とけっこうな値段にたじろぐのは、私たちのライフスタイルが変わったせいだ。
十五年まえには、父が健在だったから、日本橋の神茂に晦日に注文品を二軒分とりに行った。当時は歌舞伎に凝っていたから、日本人らしいお正月は感激で、お屠蘇を型どおりお杯で祝い、
「日本人ね!」
「蒔絵ってきれい」
感激したかわり、お正月がすむと、ぬるま湯で洗って、きれいにしまうのがまたたいへん。
そのうちに、開新堂の「洋風おせち」というオウドゥヴルのセットにシフトした。アートみたいに美しい盛り合わせは、世にもおいしく、量もたっぷりで、一人前をアミと分けあった。
そしてとうとう。この暮れとお正月は「カンタンで行こう!」にがぜん、進化、それとも堕落? したのだった。
この十二月はなぜかいつもより忙しかった。クリスマスカードをコンピューターでつくって印刷、封筒も印刷(年賀状は出さないけれど、これらは手がかかる)、クリスマス・ギフトの送り出し、いただきものにお礼状を書き……。ふいっと閃いた。
「ねえ、今年はラクしない?」アミに言った。
「リーガから大晦日にお料理取り寄せるの」
「うれピー! ラクしたい」アミの顔がお日様みたいに輝いた。カタログを見て、送料込みのセットの中からうちにぴたりのを見つけてオーダー。急に気がラクになった。クリスマス・イヴに着くよう息子のハルの家にも同じものを注文した。彼は自営業で日々超多忙だから、クリスマスも出かけるより、家でおちついた食事をしたいだろう。
「ホリデイは気楽がいちばんのごちそうね」私たちは顔をみあわせてにっこりした。
冬のホリデイの過ごし方も変わるな、と思う。家にいるのが楽しい、家が居心地いい、しかも世話する猫が三匹もいる――とホテルに泊まりがけはムリ。
結婚したての頃は、スキーで東京脱出するのが楽しみだったが。
いまの私たちみたいに「家ぬくぬくお正月」を、コクーン(繭)・ニューイヤーというのかも?
元日の朝はお寝坊の朝だ。すぐそこの環状六号も家の前の道もクルマの音がしない。電話も沈黙。
「これこそ市中山居じゃない?」
私たちはゴキゲンだ。さて、元日の朝食は――。
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