田圃をわたってくる風のなかで
テーブルに肘をつき、開けはなった窓の外を眺めると見晴るかす緑の田圃。両側の低い山の上の青空には白い雲がプッカリと浮かぶ。
「左向いた象さんババールみたい」
「あら、猫が右に走ってる姿よ」
娘と他愛ないくらべっこをする間に、
「おまちどおさま」
〈十割そば〉が土っぽい大皿のスダレにどかりと盛られて出てきた。処は望月の春日の里。蓼科山の北側の山裾に、猫のおなかみたいにこぢんまりとひろがる田圃と畑地、そこに居を構え、手作りの仕事にうちこむ職人気質のひとたち。北沢正和、啓子さんのカップルが営むお店、職人館だ。夏休み、ここにお蕎麦を食べにドライヴするのは、去年覚えて以来のうちの行事になった。
お蕎麦は江戸のもの、という信念は江戸っ子に固い。でも、そう言いつつも各地においしい手打ち蕎麦がある。ここはその一つで、都会化し喧噪になった軽井沢から、はるばる足を伸ばして食べに来る価値のあるお蕎麦屋さん。
三〇度ある夏の日でも、田圃をわたってくる風は涼しい。今日はお豆腐の他に、夏野菜のおまかせ料理を頼んだ。
「ボルシチ風の野菜煮込みがおすすめです」
ほどなく現れたのは、鮮やかな紅色のひと皿。上に飾ったサワークリームの白とバジルの緑が映える。ひと口はこんで、「これは!」
冷たすぎず、ほどよい温度。のどに流れ込むジューシーな野菜の味。私たちは野菜好き、感激だ。考えたら去年来たときは、お料理係りのご主人がオーダーのとき不在で、お蕎麦とお豆腐を食べて終わったのだった。
聞くと、この赤いひと皿は、ビーツ、ズッキーニ、トマト、キャベツ、砂糖いらずという土地の豆、お出汁は、この辺で採れるチチダケの汁だという。野菜と山菜はその日の収穫によるから、いつもこのひと皿があるわけでなく、その出逢いの運が楽しみの元になる。
野菜料理は多彩だ。ちょっと席をはずしていたご主人が「菜園のもぎたてです」と言って出した白い西洋皿は、端を削ぐように切ったキュウリと丸ごとのトマトと手前味噌が、美しい色どりで乗っている。新鮮そのものの甘いトマトとコリコリのキュウリに、私たちはキリギリスみたいにかぶりついた。
青いガラス皿に盛られた冷野菜は、紅あかり(じゃがいも)、トマト、バジル、枝豆の上にミモレット(チーズ)を散らしてある。フランス料理とも日本料理ともちがう、こういう野菜料理は、日本の田園に育つ新しいキュイジーヌとよぶべきか?
もぎたてのモロッコいんげんを三本縦にならべ、その横に黄色と緑のズッキーニの輪切りを信号機みたいに、ポンポンとお皿に置いたものは、色といい、飛んでるところといい、なんだかマティスの絵を見るようだ。
東京から持って行ったバジルはじめハーブ類が底をついていた私たちは、ご主人の好意で、菜園のバジルとフェンネルを頂戴して帰った。フェンネルは、普通細長い葉を使うけれど、丈たかく伸びた花は、秋草のオミナエシみたい。花瓶に生けてそこからもいでお料理に使うことにした。猫はフェンネルの匂いに惹かれて、花瓶の周りをうろついた。
軽井沢から望月への道は、御代田を過ぎると中山道になる。新しい広い道を避けて進むと、塩名田、御馬寄、浅科、八幡などの古びた宿を抜けて、昔ながらの家々を眺めて走ることができる。去年あった古い家が今年は壊されているのは残念だけれど、住んでいる人にとっては、新しくもしたいだろう。問題は古い村の美しさをどういう形で保つかにある。
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