247.



.


.

田圃をわたってくる風のなかで

テーブルに肘をつき、開けはなった窓の外を眺めると見晴るかす緑の田圃。両側の低い山の上の青空には白い雲がプッカリと浮かぶ。

「左向いた象さんババールみたい」

「あら、猫が右に走ってる姿よ」

娘と他愛ないくらべっこをする間に、

「おまちどおさま」

十割そば〉が土っぽい大皿のスダレにどかりと盛られて出てきた。処は望月の春日の里。蓼科山の北側の山裾に、猫のおなかみたいにこぢんまりとひろがる田圃と畑地、そこに居を構え、手作りの仕事にうちこむ職人気質のひとたち。北沢正和、啓子さんのカップルが営むお店、職人館だ。夏休み、ここにお蕎麦を食べにドライヴするのは、去年覚えて以来のうちの行事になった。

お蕎麦は江戸のもの、という信念は江戸っ子に固い。でも、そう言いつつも各地においしい手打ち蕎麦がある。ここはその一つで、都会化し喧噪になった軽井沢から、はるばる足を伸ばして食べに来る価値のあるお蕎麦屋さん。

三〇度ある夏の日でも、田圃をわたってくる風は涼しい。今日はお豆腐の他に、夏野菜のおまかせ料理を頼んだ。

「ボルシチ風の野菜煮込みがおすすめです」

ほどなく現れたのは、鮮やかな紅色のひと皿。上に飾ったサワークリームの白とバジルの緑が映える。ひと口はこんで、「これは!」

冷たすぎず、ほどよい温度。のどに流れ込むジューシーな野菜の味。私たちは野菜好き、感激だ。考えたら去年来たときは、お料理係りのご主人がオーダーのとき不在で、お蕎麦とお豆腐を食べて終わったのだった。

聞くと、この赤いひと皿は、ビーツ、ズッキーニ、トマト、キャベツ、砂糖いらずという土地の豆、お出汁は、この辺で採れるチチダケの汁だという。野菜と山菜はその日の収穫によるから、いつもこのひと皿があるわけでなく、その出逢いの運が楽しみの元になる。

野菜料理は多彩だ。ちょっと席をはずしていたご主人が「菜園のもぎたてです」と言って出した白い西洋皿は、端を削ぐように切ったキュウリと丸ごとのトマトと手前味噌が、美しい色どりで乗っている。新鮮そのものの甘いトマトとコリコリのキュウリに、私たちはキリギリスみたいにかぶりついた。

青いガラス皿に盛られた冷野菜は、紅あかり(じゃがいも)、トマト、バジル、枝豆の上にミモレット(チーズ)を散らしてある。フランス料理とも日本料理ともちがう、こういう野菜料理は、日本の田園に育つ新しいキュイジーヌとよぶべきか?

もぎたてのモロッコいんげんを三本縦にならべ、その横に黄色と緑のズッキーニの輪切りを信号機みたいに、ポンポンとお皿に置いたものは、色といい、飛んでるところといい、なんだかマティスの絵を見るようだ。

東京から持って行ったバジルはじめハーブ類が底をついていた私たちは、ご主人の好意で、菜園のバジルとフェンネルを頂戴して帰った。フェンネルは、普通細長い葉を使うけれど、丈たかく伸びた花は、秋草のオミナエシみたい。花瓶に生けてそこからもいでお料理に使うことにした。猫はフェンネルの匂いに惹かれて、花瓶の周りをうろついた。

軽井沢から望月への道は、御代田を過ぎると中山道になる。新しい広い道を避けて進むと、塩名田、御馬寄、浅科、八幡などの古びた宿を抜けて、昔ながらの家々を眺めて走ることができる。去年あった古い家が今年は壊されているのは残念だけれど、住んでいる人にとっては、新しくもしたいだろう。問題は古い村の美しさをどういう形で保つかにある。





ボルシチ風野菜、夏の田園のよろこび


同じ野菜でも味がちがう

その日は行きがけに、軽井沢の人が安くていい、と教えてくれた農協の店に寄って、野菜を買った。チェーンの大スーパーでは買いたくないし、生産者の名前がはいった野菜は、いかにも信頼できそう。朝持ち込まれたばかりで、新鮮でもある。ところが、家に帰ってさっそく使ったら、トマトやきゅうりに、味がない。

「ヘンね。形だけの野菜かしら?」

「いつか京王デパート自慢の野菜も、姿はいいのに、味がまるでなかったじゃない?」
京王の野菜は、食堂の屑をコンポストで土に還元して循環農業の作物とか、地下の食品売り場で喧伝して売っていて、くださった方も「おいしいの」と自己暗示にかかっていたけど、ホンモノの野菜を食べていると、味がせず、まるでダメだった。

うちでは地球人倶楽部の野菜や卵にしてから、十年近くたつ。自然農法の野菜は野菜の味がしておいしいから、うちの家族は「野菜スキー」で、まるでヴェジテリアンみたいによく野菜を食べる。そのぶん、ダメ野菜がすぐわかる。

軽井沢で買った野菜は、トマト、きゅうり、いんげんもおいしくない。都会化したリゾートでも、まわりは高原野菜の産地で、本来なら、おいしい高原野菜をあちこちで買えるはず。それなのに野菜がおいしくないとは? 姿はりっぱなのに、味がしない野菜なんて不気味じゃないか。

一方、職人館のおみやげのセロリーやフェンネルを入れ、職人館の野菜料理をまねて、少量残っていた地球人倶楽部のトマトやキュウリを入れてつくった野菜は、おいしいのだ。ナゾは野菜の質、つまり農薬、化学肥料、そして土壌の質の違いにある。

農協にだって自然農法をしてる農家の作物がはいっているはず。でも北海道の友達が言ったように、「農協は社会主義国みたいな悪平等主義だから、エコ農業の産物でもわかるように表示してくれない。化学肥料や農薬のと一緒にされちゃう」。消費者は、自然農法の品を選ぶことができない仕組みなのだ。

赤いトマト、緑のキュウリ、黄色いジャガイモ。野菜は食べるまで、エコ農業と、化学まみれの農業の作物の違いが見えない。私たちは普段からたしかなモノを食べて、自分の舌を育てて、野菜選びをするのがかしこいようだ。


.
.


Copyright (C) 2002-2003 idea.co. All rights reserved.