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●山里へ降って、誘われるまま初見のお宅の縁先でお茶を馳走になることも度々だった。お茶請けの漬物を称美するとそれを土産に包んでくれたり、果ては山葵や畑の作物まで頂いてしまうこともあった。希にだが同じ土地を再訪する機会があれば、返礼として、缶の絵柄が美しい上野の花林糖(かりんとう)を届けたりした。時代が変わって今はそんな遣り取りは殆どない。

▲か細い花綵(はなづな)列島故に、山から駆け降りると、勢い余って海へとび出してしまう。港の朝市に紛れ、市場の食堂などで地の魚に出会うのも愉しみの一つだ。黒ソイやカジカ・ドンコ・八角・ハタハタ……そんな魚達とは北の港町で出会った。時代が変わり、今じゃあ我が海無し県の普通のスーパーでもそんな魚達が普通に並んだりする。懐かしく山旅の記憶が甦り生唾も涌く。しかしそれをレジまで運ぶ勇気が涌かない。

■何年か越しで漸く奮起した。カジカは汁物に、ドンコは肝味噌を塗って焼き、八角は刺身で、ハタハタは鍋にして食べた。何れも今一つ納得が行かなかった。ずぶろくでかつずぶの素人が魚を弄(いじ)るのが土台無理なのかも知れない。だがそればかりでもなさそうだ。港々に女あり……って演歌的な世界かしら? 譬(たと)えが悪いのだが、港々のお嬢様方に都内のマンションなどへお越し願ったとして、それは如何なものか? 食味の領域も、土地土地の気候風土の中でこそ真価を発揮するもの――と悟る。以後は「きっと、また食べに来ますから……」が口癖になった。土産物も送られ物も同じ言葉でやんわりと躱(かわ)す。おいそれとは再訪出来ないのが現実だけど、その一食の思い出ともう一度食べたい希望だけですでに完結している。西太后みたいな馳走三昧ではむしろ哀しい。


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