欲しいけど、ちょっと多いな
カウンターに置かれた鯛の押し寿司を眺めて、首を傾げて考えた。それは高島屋の京都展で、木屋町の、よく行く割烹のテイクアウトの包みなのだ。
「おいしそー」――でも。
いかにも大きい。一本が本一冊分ぐらいのサイズに包んであって、4,000円。
「多すぎる、これじゃ残っちゃう」
押し寿司だってその日のうちに食べ切らないとだめ、そしてお寿司は、真剣に夕ご飯用でなく、ちょっとつまむ程度がしゃれた食べ方だ。
「半分サイズで、2,000円なら買うけどな」
娘とうなずきあって、割愛した。衝動買いは気分のもの。遊びで買う「ちょっと贅沢な食べ物」は、2,000円がいいところじゃないかなあ。すぐそばで、三木鶏卵がだし巻きを実演しながら売っている。家庭のだし巻き用鍋の優に三倍の長さの銅鍋で、年期のはいった職人が手際よく焼いている。サバより太っただし巻きが、木枠に入れてきゅっと仕上げるとちんまりまとまる。わざわざ小さくするのがすごい。
ケースを覗きこむと、大800円、中500円が並んでいる。「小」としないところがいい。「中」は半分よりたしかに大きめだ。元気づいて頼んだ。
「これちょうだい」
「中」があったお陰で、その晩はだし巻きを楽しめた。京都のような伝統的なまちでも、家庭の小型化につれて、分量を減らして売るのに踏み切るお店がでてきた。〈いづう〉の鯖寿司は、どっしり大きく重く、上にかぶせる色刷りの版画がシーズンごとに変わるのも好きなのだが、大きすぎるのが重荷だった。食べきれないし、捨てたらもったいない。
と思っていたら、いつからか半分のサイズをつくるようになった。高島屋でも4,000円と2,000円を並べていた。
サイズと値段は、売り手の哲学の問題でもある。
おいしい品を、質を下げずに、買いやすい値段と大きさで出す。不景気に加え、一人暮らしが増える時代に、小さなポーションにすれば、買い手は気軽に手を出せて、よろこんで買う。
催事のとき試食できる店は、よく売れる店。お客は、なじみのない商品には用心深い。試食がどれもずらり並んでいれば、あれこれ爪楊枝でつまんで、
「おいしい! じゃ、これとこれと、あれも」
フトコロをゆるめる。一つ500円の散財が倍になり、3倍、4倍になる。味よく、愛想もいいお店は好かれる、そしてお店との新しい出逢いが始まる。
ソンなのは、分けて売らないお店。みたらし団子が出店していたが、知らない店で、お味見も出していない。娘は、味については好奇心のヒトだから、
「おいしそう。一本買って試して、おいしかったらいるだけ買うわ」
やがて手ぶらで、すごすご戻ってきた。
「五本一組でしか売らないの。一本売りがないから試せないし、買ってまずかったらイヤだし」
いま、セット売りほどつまらない売り方はない。どこの家も小人数、好みにもうるさい。おだんごは家族全員が食べるのでなく、一人だけ食べ、別のメンバーはお寿司、もう一人はアップルパイ……と、嗜好品的な食べ物ほど、個人別になる。それには二人分だって多い。これは孤食とはちがう。
京都展で感心だな、と思ったのは、スゥィートポテトの店が、目方売りだったこと。六個、八個などの箱詰めはセットプライスだけど、一つずつバラ売りをしているのは、おいもは切り方でサイズが変わるからだろう。試しに一つだけ買ったら、368円で、小さな箱に入れてくれた。
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