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つい先日、博多の友人からどえらくおいしいものを頂いた。『のーさば』という干物なのだが、僕にとっては初めて聞く名前であったし、手にするのも初体験であった。この、のーさばの、のーと言う意味は福岡の東に位置する、鐘崎という美しい海で働く漁師さん達が漁に用いるはえ縄のことだそうである。だったら、はえ縄で取れるさばと考えがちだがそうではない。何とさばというのは、サメなんだそうである。最初は「はえ縄のサメ」と言っていたらしいのだが、そのうちに「はえ縄のーサメ」になり、いつしかはえ縄が消えてしまい「のーサメ」になって、サメがさばにとって代わってしまったとか……。

おそらく1メートルあるかないかの小さなサメではなかろうかと思うが、三枚に下ろしてこれを天日でカラカラに干し上げてある。これが、15センチ位の長さに切り揃えられて、ポリ袋に詰めて売られているようである。

ともあれこののーさば、素朴でしみじみとおいしい。料理の仕方も至って簡単だから、もし福岡に行くことがあればぜひ仕入れて試して頂きたい。

作り方は、板状になった干物を熱湯に三分ばかり浸す。皮の部分は言わずと知れた鮫肌である。その黒っぽいグレーがかった皮だけは落とさなければならない。束子でごしごしとこする。もし、一回の作業で落ちなければ、もう一度同じように熱湯に浸けて根気よく落とす。二回もやれば十分であろう。この状態迄こぎつけたところで、箸置きくらいの大きさの短冊にする。料理ハサミを用いれば、殊の外楽に形が揃うだろう。次に、醤油一、酒一、味醂一の割合のタレを作りこれをひと煮立ちさせる。好みで少し砂糖を入れるもよし、また輪切りにした唐辛子を加えるのもよい。洗ったのーさばを熱いタレに浸し、全体が室温に冷めればもう食べられる。

と、手慣れたようなことを書いてはいるが、実は数日前に説明書読み読み試したばかり。だが、一回食べただけで、確実にのーさばの虜となってしまった。その味は、干し鱈のようでもありするめのようでもあり、食べ出したら止まらなくなる。小さいながらもフカヒレも入っており、ささやかながらちょっぴりリッチな気分にも浸れる。フカヒレの部分は、シャキシャキとした感触が、あたかも数の子のような食感もある。鐘崎の方々は、正月に数の子代わりにもするそうだ。とにかく、ビールや酒のつまみにはもってこいの肴となるし、食事のおかずとしても十分にその役割を果たすだろう。



Kubota Tamami

こうした、地方特産のおいしい素晴らしい食べものが、日本の各地にはまだまだ眠っているのかも知れない。今、日本ではスローフード運動という言葉が盛んに飛び交っている。が、悲しいことにスローフード運動を商売繁盛の手段として利用している人もかなりいることは事実。これでは、余りにも情けない。本来のスローフード運動とは、寂れゆく素晴らしい食べものを護ったり、その生産者を支えることにある。僕は、こののーさばは絶対に後生に残したい食べものの一つに挙げたいと思う。

だが、世界的な目でみると、最近はフカヒレのもとであるサメの捕獲も問題になっている。サメが乱獲によって、絶滅危機に瀕しているとか。一方、海水浴の出来るビーチでは、外国日本を問わずその対策に頭を痛めている。いやはや、痛し痒しの問題である。しかし、日本の片隅で細々とサメを捕り、細々とそのサメを食料として加工している方々の生活は絶対に護らねばならぬし、伝統食も絶やしてはならない。目の玉が飛び出る程に高いフカヒレを作り、高額な収入を得るために大々的にサメを捕ることだけは止めないと、海の生物の生態系が変わってしまうことも事実である。

同じことが、かつて捕鯨問題で世界中で物議を醸した。確かに、四十年ほど前は、捕鯨オリンピックなんて言う言葉が新聞を賑やかせていたことを思い出す。シロナガス鯨やナガス鯨、マッコウ鯨を日本を含む数カ国が競い合うように捕獲していたのだ。これでは、簡単に種の絶滅につながる。極地で生活を営んでいる少数民族の方々が、暮らしを守るために鯨を捕ることは、これは世界中が応援して見守ってあげなければならない。

正直なところ、僕は鯨の肉は大好きである。が、種を守るために鯨を絶つことは簡単だ。いや、無理して食べることはない、と思う。人間という厄介な生き物は、とことん欲が深い。金のためなら、何でもしてしまう。このあたりを冷静に見つめ、天の恵みとして食べるものは食べ、護らねばならぬものは護り抜く。旨いのーさばは、どうなってしまうのであろうか。問題である。