こうした、地方特産のおいしい素晴らしい食べものが、日本の各地にはまだまだ眠っているのかも知れない。今、日本ではスローフード運動という言葉が盛んに飛び交っている。が、悲しいことにスローフード運動を商売繁盛の手段として利用している人もかなりいることは事実。これでは、余りにも情けない。本来のスローフード運動とは、寂れゆく素晴らしい食べものを護ったり、その生産者を支えることにある。僕は、こののーさばは絶対に後生に残したい食べものの一つに挙げたいと思う。
だが、世界的な目でみると、最近はフカヒレのもとであるサメの捕獲も問題になっている。サメが乱獲によって、絶滅危機に瀕しているとか。一方、海水浴の出来るビーチでは、外国日本を問わずその対策に頭を痛めている。いやはや、痛し痒しの問題である。しかし、日本の片隅で細々とサメを捕り、細々とそのサメを食料として加工している方々の生活は絶対に護らねばならぬし、伝統食も絶やしてはならない。目の玉が飛び出る程に高いフカヒレを作り、高額な収入を得るために大々的にサメを捕ることだけは止めないと、海の生物の生態系が変わってしまうことも事実である。
同じことが、かつて捕鯨問題で世界中で物議を醸した。確かに、四十年ほど前は、捕鯨オリンピックなんて言う言葉が新聞を賑やかせていたことを思い出す。シロナガス鯨やナガス鯨、マッコウ鯨を日本を含む数カ国が競い合うように捕獲していたのだ。これでは、簡単に種の絶滅につながる。極地で生活を営んでいる少数民族の方々が、暮らしを守るために鯨を捕ることは、これは世界中が応援して見守ってあげなければならない。
正直なところ、僕は鯨の肉は大好きである。が、種を守るために鯨を絶つことは簡単だ。いや、無理して食べることはない、と思う。人間という厄介な生き物は、とことん欲が深い。金のためなら、何でもしてしまう。このあたりを冷静に見つめ、天の恵みとして食べるものは食べ、護らねばならぬものは護り抜く。旨いのーさばは、どうなってしまうのであろうか。問題である。
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