4月1日だ。北海道余市ではまだ寒いし、吹雪もまだまだなのに、何となく漁港を中心としていろめきたつ。四月の声を聞くとじっとしていられないのだ。百年も前から4月1日には鰊が群来(くき)るものと決まっているのだし、その証拠に鰊の子を追って3月にはホッケが来たではないか。

隣の離れに住む老人も碁石を置いて立つ。「チエコお茶入れてくれ」老人の孫娘チエコが廊下を踏み鳴らして熱いお茶を入れにくる。丸い頬っぺたは真っ赤である。体重を持て余し、チエコは結婚の縁が遠いと爺さんは嘆く。日本はその夏敗けが決まり、兄の哲郎が帰って来た。今村家は、疎開で余市の婆さんの家に移り住んでいた。

復員してきた兄から聞いた話でタマゲタのは、敗戦寸前、兄の所属する海軍基地に一個中隊ほどの陸軍兵がアメリカ兵の身なりをして現れ、サイパンに逆上陸すると言ったという。私は今でも本当の話だと思っている。

ルンペンストーブの上で焼くとれたての鰊は絶品で、4匹は食える。戦争中体重90キロの海軍中尉だった私の兄哲郎は六匹は食う。余市の連中も四匹で驚き、6匹でタマゲタ。その大食漢の兄弟合わせて10匹は余市中で有名になり、チエコにどうだろうという噂が流れた。

鰊がどっと揚がりはじめると、浜は一斉に銀色になる。鰊を背負って行っては雪の穴にぶち込むバイトはそこそこ金になるから、私も、失業中の哲郎もチエコも汗をたらして頑張った。運ばれた鰊は雪の上の干し場にズラリと吊るされる。

よくいわれる身欠き鰊は、正しくは背割りであり、本当は干し場に吊るされた鰊の背を割って2,3日干したものを云う。77歳になった今日でもこれを食べたいと思う。

しかし今東京の居酒屋で、正しい背割りの身欠き鰊について申し述べ、是非それを食べたいなどと言うと、女将に間違い無く嫌がられるのでご注意!


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