むかしは「ただの油」
油については、私たちは深く考えないで暮らしている。いつもキッチンにあるもの。スーパーに行けば棚にずらり並んで、セールの安いのを狙う人や、「買い置きなんて。油にお金かけたくないわ」
という人もいる。でもほんとにそれでいいのか?味と健康のために油の質は大事だし、イラク戦争では欧米の政府は、市民に食料の備蓄をすすめた。日本は政府が、市民の安全について無関心だから、イラク戦争でも、SARSでも何も情報をくれなかったけど、インターネットで見れば、外国は政府が国民にずっと気を配っていることがわかる。
日本は食料の輸入国。もし輸送の貨物機や船が遅れれば、食料品は品薄、在庫切れで、食料パニックが起こる可能性もある。スイスみたいに、ふだんから食料の備蓄を心がけるのが、これからの市民の必要条件だ。スイス政府が国民に課している備蓄義務は、油は一人あたり一キロリットル。脂(バターやラードやクリスコなど)は1キロ、砂糖や米は1キロずつ。
イラク戦争のお陰で、うちの食料品の在庫の見直しをして、気づいた。家に置く食料の種類が20年まえ、10年まえにくらべると飛躍的に増えている。グローバル化と情報化が進んだからだ。
以前ならパスタはスパゲッティとマカロニぐらいだったのが、カッペリーニ、ペンネ、ブカティーニ、舌をかみそうな名前がぞろぞろ。香辛料はいくつあるか数え切れない。塩だってむかしは一種類、いまはやたら増え、旅行土産はさまざまな塩、塩、塩だ。
油は、母親の時代は「ただの油」に過ぎなかった。水と同じに名無しだった。種類も限られていて、何の油かあまり気にせず使った。戦争中は貴重品だったけど、子供の私には関心はなかったし、ただひとつ驚いた記憶は、戦後すぐ、疎開から戻って暮らした永福町の家で冬の朝、台所の油を見たら戸棚の中で白っぽく凍っていたことだ。
油は、以前は一種類ですみ、サラダオイルがあれば事たりた。あとはせいぜい胡麻油か。てんぷら油という名を子供時代に知ったのは、戦争で焼ける前、麻布笄町にあった家の裏が広い屋敷で、最初は古河さん(古河電工)、次に杉山さんに変わったとき「〈豊年オイル〉の杉山さん」と大人が言うのを「それ何?」と訊いたら「天ぷら油の名よ」と言われたから。
私がお料理というものを初めて自分でやるようになったのは、結婚一年後に夫婦でアメリカに留学したときで、そのとき覚えた油は実に単純だった。
それは1950年代後半のアメリカで、家庭の油は、サラダオイルとクリスコ(ショートニング)とラードとバターですんだ。日本でなじみの薄いラードが必需品だったのは、アメリカ式のパイは、パイ皮にラードを入れるからだ。
オリーヴオイルがキッチンに加わったのは日本では1980年代からだろうか? 初めは贅沢な油だった。それがいまは、エクストラ・ヴァージン・オリーヴオイル全盛になったからすごい。
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