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塩は人の生命を維持するかけがえのないものである。食の基本となる調味、食品の保存、発酵などの必需品であり、塩の化学作用を利用して布の漂白、石鹸、ガラスなどの原料として使われた人類最古の商品である。このため世界の四大文明の発祥地の近くには、必ず塩の大生産地が存在する。紀元前、中国の古代王朝が栄えた黄河の流域も豊かな塩の産地がある。塩の産地を巡る旅のあいまに、その国の歴史博物館や遺跡を訪れ、塩にまつわる興味深い史実と出会い、塩を通して歴史を眺めると、政治、経済や人々の暮らしの歴史がいきいきと蘇ってくる。なかでも四川は、皇帝に塩を貢いだことから自貢とよばれる中国唯一の塩都があり、塩が政治・経済と密接に関りあって揚子江文化をつくった壮大な歴史のドラマがある。


中国四千年の歴史は古代王朝の塩地を巡る争いの歴史から始まっている。陝西に勃興した周民族は、西安に都をおいて黄河中流の「解州塩」を支配し、塩の利益を独占した。塩の商売は、陝西・山西・河南から広く他の諸省にひろがり、西安の都にはさまざまな物資が集散し、交易が栄えた。戦国時代(BC403〜220)には、解州塩地は魏国に占領されたが、巴蜀の国四川を平定した秦は、四川の塩の権益を獲得、さらに「斉を東帝、秦は西帝」と称して魏を滅ぼし、解州塩を奪取した。こうして四川と解州の二つの莫大な塩の富を獲得した秦は、ここに天下統一の基盤を築いていくのである。

こうして古くから中国では、塩が国の歳入の重要な財源であったことから、「塩は国之太宝」といわれてきた。ヨーロッパ諸国の専売制が確立する以前から、すでに中国には塩税があり、紀元前七世紀、斉では全国の塩の生産地に塩税を課していたといわれ、漢代(BC200)には、有名な「塩鉄論」があるように国の専売制が確立していた。さらに八世紀、唐代から宋にかけて塩の生産・運搬に関する法規、密売に対する刑法など、厳格な塩法ができあがり、専売による塩利は国の財政的な基礎となった。21世紀の今も中国では、塩は国の管理の下で専売制が続いている。



天下統一をした秦は蜀の国、四川を領有すると、中国各地の豪商を集めて四川盆地の開墾と塩井の開発に力を注いだ。「其の豪門また家ごとに塩井あり」と蜀志に記され、春秋時代に塩の豪商が出現した。国から、独占的に塩の生産・流通の特権を与えられた塩商人は、国に庇護され、膨大な富を擁して、後には「塩商」とよばれる財閥に成長したのである。自貢市には、清朝時代に塩商の集会場であった「西秦(シャンシー)会館」がある。西秦(陝西省)出身の塩商たちが金を出し合って建てた同郷会館である。その大門には2メートルを超す巨大な狛犬の石造が立ち、清代の建築様式を色濃く残した歴史的な建造物で、中国政府から中国重要文化財に指定されている。大門に掲げられた「塩業歴史博物館」の揮毫は、知日派の文化人である郭沫若氏によるものである。その精緻な彫刻が施された建築に、当時の塩商たちの財力と文化の擁護者としての誇りが感じられる。17世紀清代の塩商たちは、国内産業の投資や両替商を営み、陶磁器や絹織物の貿易で膨大な財を築き、揚子江文化の原動力になったといわれる。

その昔、三国志の関羽は、塩商人が塩を運ぶとき、強盗の略奪から積荷を守る用心棒であったという故事から、国内はもとより東南アジア各地にある関羽廟は華僑たちの守神として敬われている。関羽が塩の用心棒だったと聞くと、歴史がまるで昨日の出来事のように蘇ってくるような気がする。



四川の塩の旅も終わりを迎えた帰国前夜、四川省塩務局長陳氏から成都一番の料亭「銀杏酒楼」に招待された。すでにテーブルには、綺麗に盛られた冷菜が幾皿も並び、グラスに酒が注がれる。陳氏が「“日本の塩商”の来訪を祝して乾杯(カンペイ)」と、口の中が燃えるような酒を一気に飲み干す。

この宣賓(イービン)で作られた銘酒「五粮液」は、アルコール分52度を超す中国最高の白酒といわれ、米、玉蜀黍(トウモロコシ)、高粱(コーリャン)、もち米、小麦の五つの穀物からつくられている。
次々と運ばれる料理のなかで、最も興味を引いた料理は、“四川ダックの丸焼き”であった。こんがりと焼かれた四川鴨が背開きにされて皿に盛られた、一見いたってシンプルな料理であるが、そのスモークされ、脂肪が抜けた鴨のパリッとした食感と芳醇な香ばしさ。実に素晴らしい味だ。

そのとき、北京ダックに勝るとも負けない味だと感嘆し、この料理の名を聞くと、それは「樟茶鴨(シャンチャーヤ)」という四川の名物料理だという。

口福これに尽きる陳さんの心づくしのもてなしに感謝する。老朋友再見(ラポンユウサンチェン)。


著者略歴/昭和14年生まれ。塩問屋の栃木塩業三代目を継ぐ。平成9年、(協)日本塩商理事長に就任。同14年4月、塩の完全自由化に伴い、塩の専門商社をめざして、ジャパンソルト株式会社を設立。社長に就任。


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