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●蕎麦茶を飲んだ後、その出しがらを捨てる時に、気紛れに一つまみ摘まんで口に運んだ。「ん? こりゃあ・ナカナカ・捨てたもンじゃないゾ」だなんてネ。スーパーの棚の片隅に蕎麦茶なるものを発見し、「へえ〜」などと感心しつつ、試しに一つ買って帰った。たぶん二年くらい前のことだ。一度も使わぬまま仕舞い込んで忘れていたものを、先月思い出して初めて飲んだ。格別面白くもなかった。ヘソ曲がりの儂は、むしろ出しがらの方を面白がったわけだ(蕎麦茶は、最近、健康茶ブームに乗って売れているらしい)。

▲旅の宿で、偶さか膳に剥き蕎麦の小椀が付いていたりすると、ちょっぴり嬉しい気がする。平生はあまり口にすることもないからだ。その蕎麦粒が、蕎麦茶の出しがらという形で、突然わが仙窟に出現したのである。蕎麦茶を蕎麦茶にはせず、直接、蕎麦つゆを使って椀ものに仕立て(細切りの海苔もトッピングして)酒の菜に加えた。さらに、土鍋に蕎麦茶と米と梅干しを放り込んで〈蕎麦茶粥〉に仕立て、酒の後の締め括りとした。

■数日後、自然食の店を訪ね、焙煎していない、つまり籾殻を除き乾燥させただけの“正しい”蕎麦米を入手した。袋の裏に記された調理ガイドを参考にして、糯米と一緒に炊き合わせた〈蕎麦米おこわ〉と、大根・人参・椎茸・しめじなども加えた〈蕎麦米雑炊〉も試みた。それなりに結構食えます。剥き蕎麦汁も、蕎麦粥も、かいもち・蕎麦がきも、蕎麦ばっとも、洗練された蕎麦切りには比ぶべくもないけれど、年の所為か、馬鹿な所為か、山やの所為か……そんな素朴な“まずうま食い”が、儂の舌には相性がよい。

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