憧れの店へ
初めて行くおいしい店は、どんなたたずまいか想像の羽がはばたいて、画像はスフレのようにふくらんでいく。私の頭の中に「親子どんぶり」の一語が植え付けられどんどん育っていったのは、ずいぶん前からなのだ。
それは一枚の写真とユニークなエッセイから始まった。全日空でニューヨークへのフライトの途中、はらりと開けた機内誌〈翼の王国〉に、おいしそうな親子丼がバッチリこっちを見つめている。まん丸い黄身が周りに緑のネギとつややかなトリを引き連れてドンと座っている。こんなの初めて見た! しかも書き手は、鳥喜多というその店を「全国親子丼ランキングの第一位」と宣言、自身、「年に百回は作って食べる親子丼好き」を自認しているのだ。
親子丼マニアでなくても、誘われる文章だ。しかも私にはもうひとつ理由があった。鳥喜多は長浜にあるという。
「あんなに行ってたのに、知らなかった!」
長浜にはたびたび娘とふたり、足を伸ばしていたのに。でもついに今年、梅雨のさなか、長浜へ行くチャンスができた。長浜の市民のまちづくり「黒壁」の創業十五周年の記念パーティに招かれたのだ。
着いたら何をおいても真っ先に親子丼だ!
でも、まず休みの日でないか確かめなくちゃ。行ってダメだと落胆する。番号を探し出して電話、大丈夫とわかってホッ。先方は地図をファクスしてくれた。お迎え役の黒壁の富岡由美子さんとたどり着いたのは、想像通りの小態なお店。
そして、現れた憧れの親子丼は、青ネギとトリを卵でとじた汁気たっぷりのお丼の真ん中に、卵の黄身がお日様みたいに輝いている。ススッとかき混ぜて口に運ぶと、熱々のお丼だから、熱で卵が煮えてちょうどいい具合にかえる。トリ、卵、青ネギが三位一体にふわっとまとまって、ジューシィだ。よけいなものがなく、単純明快なお丼だ。
私が親子丼と疎遠だったのは、出来すぎで具が固かったり、味が甘すぎるから。海苔や玉葱入りなんてノー。親子丼はシンプルな食べ物なのだから、シンプルさがいのちなのに、ごてごて着飾ってドタドタ歩く女みたいになっている。シンプルなものをおいしく作るのはゴマカシが利かず、むずかしい。
訊くと、鳥喜多はおじいさんの代から出汁に凝っていて、秘密はトリガラ(ガラの他、肉の切れ端や筋も入れてていねいにとる)のブィヨンにある。つまりチキンスープで、和魂洋才だ。もう一つの秘訣は、必ず一人前ずつ作って、お客にさっと出す。
「タイミングが大事です。一人ずつ作らないと煮えすぎちゃいます。トリの身と葱に火が通ったら、すぐ卵でとじ、さっとお丼の熱いご飯にかけ、そこへ卵の黄身をお猪口からするりと落とすんです。だから途中では電話に出られません」
材料は地もので、近くの農家の青ネギ、新鮮な卵。トリは京都からとっていて、どの料理もモモだけを使う。真ん中に落とすのは黄身だけだから、綴じるほうは卵黄一つに白身二つ。「黄身はご飯の上でかきまぜると、甘みが出るんです」
これだけ凝ったおいしい親子丼がたった五五〇円。これも人気のカシワ鍋は、かつお出汁を薄口と味醂で味付けし、トリモモと青ネギを卵でとじた、いわばおつゆ代わりのもの。卸し生姜がたっぷりレンゲにのって出される。四〇〇円。村田信治さん、子供の義春さんと信子さんの一家三人でまめまめしく働く家族だからできる、まっとうな味のお店、味覚の満足と幸福な家族に心和らぐ稀なお店だ。
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