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自然環境の破壊が地球の生態系のバランスを崩している。農薬や食品添加物、工業排水による水質汚染、そして狂牛病、遺伝子組み替え、環境ホルモンなど、地球規模で食の安全性が問われている。スーパーでは、無農薬の野菜、生産者の顔が見える安心な食材が好まれ、消費者の厳しい目が農産物の生産者や食品加工メーカーに向けられている。“食べる塩”食塩についても、安全・安心を求める消費者の視点に立ってつくられる、自然で健康に良い塩が基本となる。それは、身体に優しい海のエッセンス、伝統的な日本の塩を現代に蘇らせ、豊かな食文化を育むスローフードの潮流である。


太陽の熱と風でできる天日塩や湖塩、岩塩などの塩資源に恵まれないわが国の塩づくりは、今も昔も海水を原料にかん水(濃い塩水)を採り、煮つめて塩の結晶を採っている。伝統的な平釜でつくられた自然海水塩は、濃縮された海水に含まれるミネラルの組成をいかにバランスよく採り込むかによって塩の美味しさが決る。昔から釜を焚く塩職人は、“いかに、どのくらい、にがり分を残すか”に苦心したという。平釜塩の結晶は、ふんわりと容積が大きく、微量なにがり成分が塩角を包み、まろやかな味の奥行きをつける。軽やかで淡白な塩味から、繊細な日本料理の味の粋が創られる。

わが国の食用塩は、イオン交換膜で海水から塩化ナトリウムを抽出したかん水(濃い塩水)を真空式蒸発釜で煮つめた塩と、輸入天日塩を水で溶解、再結晶したふたつの塩が主流で、塩生産・加工七社によって、年間約百四十万トンが大量生産されており、すでに食用塩の安定供給という塩のインフラは整備された。そして塩の自由化で、塩の生産方法に制約がなくなり、日本の伝統的な平釜方式による多彩な塩づくりが各地で盛んに行われるようになったのである。 

今日の豊かな食文化と食の多様化を反映して、さまざまな用途と料理に応じた使い勝手の良い、手作りの塩を自由に選ぶことができる時代となった。

自然海水塩の品質を左右するのは、海水ミネラルを豊富に含んだ“素性のよい海水”である。海洋汚染が進む今の日本で、そうした原料海水を求めるとすれば、海水汚染の心配のない外洋に面した沿岸か、きれいな潮流に洗われた島々である。なかでも、自然環境のよい沖縄の“美(ちゅ)ら海”に囲まれた珊瑚礁の島々は、豊富な塩資源に恵まれた立地として注目されている。海のエッセンスである塩、「自然で健康によい塩」を採るためには、きれいな海水が絶対的な条件だからである。



最近、にがりが健康や美容の面から多くの人々の関心を集め、ホットな話題になっている。にがりは、海水を煮つめて塩を採ったあとの副産物である。これまで豆腐づくりに使われていたものが、美肌や便秘、花粉症、ダイエット、ストレスを気遣う人たちにミネラル補給の栄養補助剤サプリメントとして人気商品となっている。

古来より人々は、海水に殺菌力などの薬効があること、潮風が身体の自然治癒力を高めることを経験的に知っていた。傷や皮膚病、眼病、貧血など、さまざまな塩とにがりの民間療法が伝えられている。明治十年に、東京から北海道まで旅をした英国の女性旅行作家イサベラ・バードの紀行文に、当時東北地方の山村の人たちの間に、塩分の不足で皮膚病や眼病が多いことが記されている※。明治三十八年の専売制が施行されると、山村の隅々まで塩がゆきわたるようになり、皮膚病が減ったといわれる。ヨーロッパにおいて古くは、岩塩坑を利用して喘息などの気管支の治療が行われ、神経痛、リュウマチの療法として強食塩泉の温泉治療がある。フランスでは、海水を医療に使うタラソテラピー(海洋療法)が現代医療に使われている。また、米国でも、自然海水塩はノンカロリーの調味料としてダイエットに見直され、アレルギーや生活習慣病、癌にも効能があると謳われ、海水ミネラルへの関心と知識が普及している。

海水には、約三・五%のミネラルが含まれ、そのうちの約八〇%が塩化ナトリウム(塩)で、残りがマグネシウム、カリウム、カルシウム、そして鉄、クローム、亜鉛、リン、マンガン、銅、セレン…など、身体の代謝維持に必要な数多くの微量ミネラルが含まれている。健康志向の消費者から、海水を濃縮して採られる塩とにがりが、ミネラルとして再評価され、塩ルネッサンスとして新たな塩の価値が生まれようとしている。ミネラルの宝庫――海水には、まだ解明されていない未知の世界と多くの可能性が秘められている。

※天日塩田のにがりには、動植物の有機物や好塩菌が含まれていることもあり、そのままでは飲用に適していないので、加熱殺菌されたにがりが安全である。
※宮本常一著「塩の道」参照


著者略歴/昭和14年生まれ。塩問屋の栃木塩業三代目を継ぐ。平成9年、(協)日本塩商理事長に就任。同14年4月、塩の完全自由化に伴い、塩の専門商社をめざして、ジャパンソルト株式会社を設立。社長に就任。


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