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浅間山はすっきり晴れて、白い煙をたなびかせ、緑の斜面を二車線のサンラインが、私たちのクルマを西へ導く。めざすは上田の町。東京で愛用してるパン屋のルヴァンが、四月に上田にお店を開いたので、遊びに行くところ。

上田は真田幸村の城下町、池波正太郎の記念館ができたとは知っているけど、そういうもので出かける気持ちはさらさらない。好きなものだけが私たちを惹きつける。ミュージアム趣味はない。

サンラインは軽井沢の涼しさが嘘のような暑さ。旧軽井沢ではずっと雨に悩まされていたから、ほっとする上天気だ。

「大きな森の小さな家から、やっとお日様の中にでてきたみたい」クルマの中で私は伸びをした。
「軽井沢が乾燥した高原で別荘地にいいって明治に外人が思ったのがフシギ。樹がなかったのかも」
「万平ホテルにあった古い木彫りの額も、軽井沢から浅間まで素通しに描いてるじゃない。氾濫と荒れ地で、昔は樹が育たなかったのよ」

私のイメージでは、旧軽井沢は霧と雨と涼しさ、南軽井沢は晴れて暑く、御代田も晴れ(どっちもゴルフ場向き)、小諸も上田も晴れていっそう暑い。

路傍にすすきや秋の野草があったら摘もうと、袋と鋏を用意していたのに、道路は整備されて、ただ一直線に私たちを西へ運ぶ。道は町々を首飾りのようにつなげる一本の白い線だけど、そんなロマンティックな比喩は笑い話になる機能的な道路だ。昔の牧歌的な土の道が懐かしい。〈道の駅〉に来た。

「見ていかない? 取材しましょ」

りっぱな施設で「雷電くるみの里」と、関取の絵看板がある。江戸時代の横綱、雷電の出身地らしい。店長はふっくらしたニコニコ顔の女のひと。ピンクのトルコ桔梗の大束が三百円。ネギの束がたったの五十円、大きなタマネギが一袋百円。この安さ! 農家は地域振興で出血協力してるのか、それともこれがマージンの低い正当な値段なのかしら?

じき上田市内にはいって、迷わずに旧柳町のルヴァンに着いた。柳町は短い横町ながら、ここだけ一続き古い建物が残っている。酒造家の白壁、それにつづくルヴァンの白壁と青い朝顔の群れ。

「ヘヴンリーブルーです」待っていた甲田さんは言い、東京のお店から移った地元出身のアユミちゃんたちもリンゴの頬でにっこり。
「いらっしゃい! コンプレ を焼いておきました」
これは私の常食のトースト用のパンだ。
「わー、うれしい。軽井沢は白いパンばっかりだから、楽しみに来たのよ!」

東京からコンプレ を冷凍して運んできたけど、だんだん残り少なくなっていた。

レトロなお店だ。すべて木で、やわらかく温かい感じ。木の棚の上に並ぶ木箱に、カンパーニュやくるみパンがはいっている。竹籠にクロワッサンやパイ。つり下げられたハカリは、ここの特徴の、パンの量り売りのため。グラム単位で売るから、一人暮らしの人がカンパーニュを一枚とか、フォカッチャ(ジャガイモ入りのパン)を五分の一だけとか、堂々と買うことができる。カウンターの向こうはガラス戸で、パン焼き場が見える。立ち働いているのは、みな東京で顔見知りのひとたち。


白壁のルヴァンは明るいスポット



ルヴァンはヨーロッパ風のグリーンコンシューマーのアイディアで、甲田幹夫さんが二十年前に東京で興したパンの店だ。おいしいパンは国産小麦で作れないという通説に挑戦、オーガニックの国産小麦を自分のところで挽き、全粒粉をいろんな割合で入れ、天然酵母を使って茶色っぽいおいしいパンを焼く。

店先にフリーボックスが置かれ、だれでも不要品を入れ、だれでも自由にもらう仕組み。私も不要品を入れるけど、この夏軽井沢のテーブルに置いた重いストーンウェアの飾り皿は、ここで拾った品。誰かが不要になっても、どこかで役立つ。上田ではまだやっていないのは、保守的な城下町では、不要品のフリーボックスはカルチャーショックかもしれない。

パンの量り売りも懐かしがる老人がいる反面、驚くひともいるらしい。四月の店開きのお客さまの中には「町の甲田履物店の息子さんのパン屋さん。買わなくちゃ」という意気込みもあったらしい。

「少しずつでいいのに、あんまりたくさん買ってくださると、おいしい間にほんとに食べられるのか心配になっちゃって」あゆみちゃんが言った。
地球の将来を考えて作って売り、消費するグリーンコンシューマーの動きは、地方の町ではまだまだらしい。夏、軽井沢で暮らすと、人々の無関心さにびっくりする。でも日本の昔は、意識せずに自然なグリーンコンシューマーだったと思う。量り売りと、売るひとと買うひとがじかに話しあう対面販売。モノを捨てない、生かす、もったいないの意識。それがいつか大量販売のビジネスに毒されて、消費者は与えられるものを受け身に買う身に堕ちてしまい、その堕落に気づかないでいる。

大家さんと棟続きだから、奥の一画で松とつくばいのある中庭を借景で眺められる。

「いいでしょう! 大正ロマンのイス見つけたんです」

甲田さんが示したのは、赤いフラシ天を張ったラブチェア。その脇の腰掛け二つは、こたつのヤグラだ。フリードリンクの冷たい麦茶が置いてある。のどをうるおしていると、お客が次々とパンを買いにくる。赤ちゃんづれ、二人づれの女性、おしゃれな帽子のひと――みんな女性で、雰囲気はこの店にぴたり。布のぞろっとしたバッグを下げ、涼しげなゆったりしたチュニックやブラウス。こまかくいろんな種類を買っていく。好みがちゃんとあるのだ。

「二階も見ますか?」

甲田さんの案内ではしご段を上がると、黒い梁に一部は吹き抜け、間を取り払った天井の低い畳敷きの広間になっている。白壁に切った四角い窓から、外の目眩めく八月の陽光が光って見える。

「ここで三味線のライヴをやったんですよ」

眠ったように保守的な上田にとって、ここは新しい文化のパラダイスのようだ。


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