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毎日の暮らしは平凡でも、驚きは突然やってくる。ある日娘がi-Bookから顔をあげた。

「アイリが東京へ来るって、メイルが来たの」
「え? アイリ? どこにいたの?」

「石垣島よ。夫とそこでペンギン食堂っていうのやってたんだって。子供が生まれて、一つだけど、東京へお里帰りなの」

愛里は、娘の小学校の幼なじみ。子供の友達などろくに覚えていない私も、あざやかに思い出す風変わりで快活なキャラクターだった。でも進学がちがうと、消息を聞かなくなる。

「二十年会ってないんじゃないかなあ」

それがレユニオンのチャンスに恵まれたのも、インターネット時代のお陰。誰かがペンギン食堂のことを教えてくれ、メイルアドレスがわかって、娘が連絡したら、すぐ返事が飛び込んで来た。

「ペンギン? いい名ね、南の島だから?」
「そうじゃないの、そういう名前なの、彼ら夫婦の姓なのよ。夫はモンゴル系中国人で、日本国籍になるときに、ペンギンにしたんですって」
「日本の役所がよく、すんなりOKしたわね」聞くだけでアイリらしい、わくわくする話だ。
「面白そう。どこで会おうかなあ」
「うちでお昼のパーティにしたら? レストランじゃゆっくりできないし、お金もかかるでしょ」

そういうわけでペンギン・アイリを、海好きの友達ともども招いて午後を楽しむことになった。
「それはなかなかできることじゃないわ」メイルで誘ったノリちゃんも言ってきた。「たいてい、夫婦で移住して食堂って言っても、軽井沢あたりね。石垣島は、ヨットで寄ることもありそうだわ」

それはたしかに遠い島。地図で見ても、どこにあるかわからない。辺地の島は、日本地図では、ちゃんとした縮尺で正しい位置に載せてない。四角く囲って別枠で、関連の県のはじっこに載せるからだ。正しくは、石垣島は東シナ海に浮かぶ島、イリオモテヤマネコの西表島の東隣、日本の最南端のなんと「市」で、沖縄本島より台湾のほうが近い。
まだ暑い九月の末。お客を選びメニュを決めた。

「しゃべりながら食べるなら、ピザはどうかな? トマトとバジルとアンチョヴィと黒オリーヴで」
「それにパトリス・ジュリアンのポークフィレのハーブ焼き。ゲンキ人間にはお昼でも肉がいるわ」
「サラダはネロ・ウルフのアヴォカドとピーカンとクレソン」
「お肉にはパンがないと落ち着かないから、ルヴァンのコンプレ と に、パトリス・ジュリアンのお茄子のキャヴィア風でアクセントつける。それにマロンのウィンターケーキ(私の得意)」

コンプレは、pain complet, ホールグレイン(全粒粉)百パーセントと、五十パーセントで焼いた二種類。石垣島の自然児にぴたりのはず。茄子キャヴィア風はお茄子とオリーヴオイルとニンニクのミックスのプロヴァンス料理。

友達には家でのもてなしが最高なのは、欧米の習慣。日本も昔はそうだった。相手にあわせて料理を選び、食卓もつくる。TVの人気シェフ、ジェイミーは「ご近所に招かれると、招き返すでしょ、そんなとき、いいお皿使う必要ないよ!」と言って拍手を浴びていた。海の友達にはナチュラルな雰囲気が大事だ。キラキラしたものはどけて、有名な帆船を藍で描いたアメリカのミュージアムのお皿や、オリーヴの木のボウルを使うことにした。

うちのピザはオークラ自慢の石窯で焼くピザよりおいしい



二十年ぶりに姿を見せたアイリは、ぜんぜん変わらないまるっこいゲンキ顔、だぶだぶのカーキのつなぎに、自分でつくったシープドッグみたいな帽子をかぶっている。

「ひっさしブーリ! ノーブラだからつなぎ着てきちゃった」

みんなが揃ったところで、娘が昨日から粉を練ってふくらませておいたピザを伸ばして焼くと、香ばしい匂いが漂う。ピザをかじりながらいっせいに、

「ペンギンの由来を話してよ!」
「彼はね、ちがう名考えてたの。私がペンギン好きだし、南極へ二人で行ったし、ペンギンに決めたのよ」
「ペンギンなんてダメって言われなかった? 日本の役所ってお節介じゃない」 
「フリガナいらないから、書類上は『辺銀』なのよ。お父さんがモンゴルの辺境で銀掘りしてたからって。後でフリガナつけてペンギンにしたの」

アイリは続けた。「でも、子供ができたから後悔してる。学校でペンギンさんなんて、呼ばれたらねー。いまだって、私、銀行と病院で『ペンギンサーン』て呼ばれると、みんなが見るんだもの」

ペンギンは、日本にひとつしか無い名前だ。ペンギン食堂は南の島にはぴたりの名前。この間文部科学大臣が「南極にはペンギン以外にクマ(北極グマの意味らしい)とかいないの?」と南極観測隊との公開TV会議で聞いたけど、自分こそ小学校で落第して勉強したらよかったかも? いまは子育て中で食堂は休んでいて、評判の「石垣島ラー油」を夫がせっせと手作りして、生活費を稼ぎだしている。お土産に貰ったそれは、オリジナルの製法で、こんなラー油があったのか、というつぶつぶいっぱいの液体で、おいしー。

「石垣島だと、台風がすごいでしょ?」
「すごい! でも、雨がモーレツだから、コンクリートの壁洗い流してくれて、きれいになるのよ。掃除しなくてすむからラクなの」と楽天的。
「島暮らしだから、国籍取得のときも、沖縄本島の役所に、私たちアロハと短パンとはだしで行ったのよ。そしたら向こうは背広がずらーと並んでて、その真ん中を歩いていくの。写真撮ろうとしたら『そういう場じゃありません』って」
「変なの。写真撮ったっていいのにね」
「日本人になったっていう、りっぱな紙をくれるのよ。亭主には、お辞儀して両手出して受け取って、そのままの形でうしろへ下がるのよ、って教えたから、彼そうやったら、驚かれちゃった」

沖縄なら役人も気軽なウェア着ればいい。カレユシウエアという、アロハ式だが沖縄模様のシャツがあって、オフィシャルウエアになっているのだから。


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