ヴィラ・デステのガーデンレストランにて




最近、東京のオフィス街の丸の内に、米国の高級食材店「ディーン&デリカ」がオープン。パンひとつにも、最高のイースト菌にこだわるということで話題になっているお店だと聞いて、コーヒーを飲みに立ち寄ってみました。店の奥にある塩のコーナーで、ふたりの若い女性客が棚のイタリアのモチアやフランスの塩を手にとって話している光景を目にしました。日本の海外旅行者が年間千七百万人に上るといわれ、海外の本場の料理を食べ、多様な食文化に触れてきた若者たちは、イタリアのパスタにはこの塩、肉料理にはこの岩塩が美味しいと、塩の使い分けにもこだわりを持っているようです。塩の完全自由化で、海外の塩に真っ先に関心をもち、外国塩ブームのさきがけとなったのは、二十代、三十代の若い顧客だったのです。

三年前、シチリア島の天日塩田を訪れる途中、北イタリアに立ち寄ったことがあります。ミラノの高級食材店ペックが経営するレストラン「クラコ・ペック」で、”ミラノ風仔牛のカツレツ”がテーブルに出た時のことです。ウェーターが「サーレ・マリーノ・ナチュレ」の塩味で食べてくれと言う。つまり、イタリアの自然海水塩のことです。

皿に盛りつけられた厚みのある 四角い一口カツレツには、白い塩がチョコンと乗っており、言われるまま一口食べると、これがジューシーな肉とよく合い、実に旨いのです。サラダは、近くの農園の有機野菜を使っていることを強調します。この落ち着かない感じが、その後コモ湖に臨んだヴィラ・デステのガーデンレストラン、イル・テアトロ、サビーニ、シチリアのチャールストン等のレストランにいたるまで、自然へのこだわりがつきまといました。そのたびにキッチンで使われている塩やテーブル・ソルトをよく見ると、これらのレストランが使っていたのが、自然海水塩であったことが強く印象に残っています。地元で採れる食材を伝統的な料理法で食べる、今思えば、イタリアの食文化を守るスローフード運動の高まりの真っ只中に、イタリアを訪れたのです。

南イタリア沿岸は、歴史の古い塩の産地です。地中海に面したテレベ川の河口にあるオスティアには、すでに紀元前七世紀に製塩場があり、ここからローマに塩を運ぶための道路は「ビア・サラリア」と呼ばれ、塩の道が造られたといわれています。イタリアの伝統的な塩作りは、入り江から給水路で海水を塩田に引き入れ、太陽の光と風で海水を蒸発させて塩を採る天日塩です。幾つかの蒸発池を経て、徐々に濃縮された海水は最後に結晶池に導かれ、塩職人の手によって収穫される手作りの塩です。かき集められた粗塩は、塩田に野積みし、しばらく寝かせて余分な苦汁を取ります。イタリアでは古くから「塩の中の最も乾いた塩は、塩幸く、どんな塩も雨にあたると味が良くなる」といわれ、美味しい塩へのこだわりがあります。そこには、食文化を支えた塩の伝統が今も息づいて、自然の恵みである塩は、まさにスローフードだということを強く感じたイタリアの旅でした。


筆者略歴/昭和14年生まれ。塩問屋の栃木塩業三代目を継ぐ。平成9年、(協)日本塩商理事長に就任。同14年4月、塩の完全自由化に伴い、塩の専門商社をめざして、ジャパンソルト株式会社を設立。社長に就任。


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