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疑問はティタイムの会話の断片から始まった。
「缶コーヒー大好き。ぼくオフィスで一日に五、六本飲んじゃう」

マック君が言って、私はエッと呆れた。
「もったいない! 家からテルモスにコーヒー持ってけばいいのに。オフィスで沸かしたっていいし」
小学生を二人抱え妻は専業主婦、いつも「ボクビンボー」と言ってるマック君はパソコンの専門家。
「その分でもっといいランチたべたほうがよくない?」 娘も言った。

サラリーマンのランチはきびしい。好景気の頃は千円出して平気だったひとたちが、いまは五百円玉で食べられないか考える時代だ。お弁当屋やどんぶり屋の繁盛は、数百円でどれだけの味と栄養を手に入れられるかの消費者の知恵比べだ。

それなのに、一つ百円以上する缶入り飲料をバカスカ消費するなんて。好奇心からまた訊いた。
「お昼はどうしてるの? お弁当持ってく?」
「たいてい会社の近くで売ってるお弁当買うか、どんぶり屋にはいる。吉野屋の牛丼とかね」
「ランチをうちから持ってかないの?」
「面倒だし、満員電車だもの」
「それってネガティヴ・シンキングじゃない?」 ダメなほうを数えて行動するのはネガティヴ人間、いい面を考えてやるのはポジティヴ人間。多少の手間をかけても、お弁当や飲み物を家から持って出るのが、味や栄養、安全性と経済性を考えればトクで、これはポジティヴな解決法だ。

「自販機の飲料はすごく使う。会社が補助してるから百円だし」マック君は主張した。「それに会社に湯沸かし場ないから」
「私だったらデスクに小さな湯沸かし置くわ。旅行用のだってあるじゃない」
マック君は、その程度のことでケチるのは、男の沽券にかかわると思うのかもしれない。
「金持ちほどシワイ」という諺があるけど、どうも、ビンボー人のほうがムダに平気みたいだ。「些細な出費を警戒せよ。小さな穴が大きな船を沈めるであろうから」という名言を吐いたのは一八世紀のフランクリン。一八世紀も二一世紀も暮らしの原理は同じだ。むしろ生活が便利で多様化したいま、小さな出費は数えきれないほどあって、これを締めないと船はアップアップする。百円玉だからと気楽に使う缶飲料は、たくさんの小さな穴を船に開ける。

うちの近くでは集合住宅の建設が盛んで、作業員のお昼が自然に目が入る。お弁当持参でなくコンビニ依存で、お昼時は発泡スチロールのお弁当とペットボトルを買いに行く。温めてくれるし手間いらずはわかるけど……。アメリカならお昼はテルモス入りのランチボックスを家から持って出る。メアリー・グリフィス主演の「ワーキング・ガール」でも抜擢された彼女の初出勤の朝、恋人の男がランチボックスを渡すシーンがある。アメリカ人はケチで堅実だ。

私もケチ。自販機は使わない。電力多消費機器で環境にわるいし、値段も高過ぎる。ちょっと出るときも水を持ち歩く。何年も使っている空いたペットボトルに水を七分目いれて冷凍しておき、上に水を足すだけで冷水ができる。旅行には水、コーヒー、お弁当を持って出る。慣れればたいした手間じゃないし、安全と味の満足のほうが大きい。



外出には飲料持参。冷凍ボトルからテルモスまで






女のひとは、男にくらべてお金の価値と食べ物の質に敏感だ。三百円の丼でおなかいっぱいはイヤ。ヘアサロンの女性たちは、派手な見かけの中で立ち詰めで働くきつい仕事。ランチには気を使う。

「ランチボックスを持ってくるし、最近はとても具合いいランチが買えるので、それにしたり」
私の行くサロンは、恵比寿ガーデンプレイスにあり、三越の食品売り場は目と鼻の先だ。
「女をターゲットにしてて、適量で上質。おそばなんか、十一時に行かないと売り切れちゃうのよ」

それは、丸い容器におそばを入れ、紙で仕切ってネギ、オクラ、納豆、かつぶし、貝割れなどが入り、温泉卵までついているという。
「いろんなのがあるから、選びやすくていいの」
中身たっぷりのスープや、和洋のおかずさまざま、海鮮サラダのパスタ五百円など。
「コンビニ弁当じゃ自分がかわいそうになるでしょ。働いてると、ランチは大事なその日の糧ですもの。いい加減には出来ないわ」

吉野家が牛丼をやめる日の騒ぎに女はクールだ。 「なんであんなに騒ぐの?」
「国民食なんかじゃないわ。それ言うなら、カレーやラーメンじゃない?」
牛丼を食べなくたって、お昼は困らない。代わりのトリ丼もいらない。食事は健康と味覚の根源、そもそも上質で安全な食事を、大量生産品に期待したってムリなのだ。企業は利益を第一に追求する。安いことは原料の質を落とすことにつながる。

外でリーズナブルに食べるなら、小規模の個人の店が安心だ。家族経営で一生懸命やってる店なら、材料も吟味し、値段も抑え、サーヴィスもいい。作り手の顔の見えない大型チェーン店や、工場製品を売るお弁当屋がいちばん要注意だ。

出所のたしかな肉や魚を食べたかったら、自分で選び、自分で作るのがベストだ。でもご注意。有名スーパーで、冷凍の白身魚の安さに目を惹かれたことがある。原産地を見たらヴェトナムだった。
「ノーよ、これは」私は買うのをやめた。
ヴェトナム戦争で大量に撒かれた枯れ葉剤は、いまも土壌に大量に残って水を汚染し、そこに育つ魚や農作物にはいりこんでいると、学者が調査を発表している。この枯れ葉剤はエイジェント・オレンジと当時の作戦名から呼ばれている悪魔の薬剤だ。

二一世紀は、伝染病が世界規模で電撃的に広まる恐ろしい時代だ。それは人を直撃することもあるし、家畜や魚介類を侵して、食物連鎖を引き起こす場合ある。それをテーマにしたサスペンス小説もある。大量生産の外食産業に食事を依存する暮らしは、もう切り替えなくちゃ。あなたを守るのはあなた自身だ。やるなら、楽しく自衛しよう。


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