この三人コンビの魅力は、ユーモラスな雰囲気にある。キッチンでフリッツが赤い小さな実をいじっている。ネロが何かと訊くと、料理に入れるジャニパーベリーだと言う。
「幾ついれるのか?」
「四つです」
「それは多すぎる、三粒だ」
「いいえ、四粒がいい」
と、たがいに譲らない一幕がある。マリネや煮込みに入れる小さなベリーだ。食通にとってはその数は重要で、ローリエも一枚か一枚半かで、母娘で議論する話が昔ニューオルリーンズで買った料理本にもあった。フランス植民地だったこの街は、美食で知られる。
ネロはうちで食べるのが好きだから、田舎でたまたま事件に遭って解決のために足止めされると、
「私はうちで食事したい」とニューヨークに帰りたがる。ではニューヨークでどこにも行かないかというと、行きつけのよくわかった店は別扱いだ。
そこは彼の好みを心得ていて、別室に、特製の大きな椅子(なにしろ百キロある巨体)が用意され、ソースの好みもわかっている。つまり得意客の好みを心得た、店主と会話のある店なら、彼のお眼鏡にかなうのだ。と書いてくると、これは家での食事と、外で行く店の選び方の上で、私たちにも共通する課題が書かれていると気づくじゃないか。ミステリーの思わない効用だ。
レストランから蕎麦屋まで、ホテルのコーヒーショップから街の喫茶店まで、どこでもいいというわけじゃない。私たちは自然に、好きな店をセレクトして、そこを贔屓にする。味がいいこと、お店の環境が快適なことは当然だけれど、大事なのは、こちらの気持ちをわかってくれる店、よけいなベタベタがなく、でも心得てサーヴィスする店、つまり呼吸が通いあう店だ。
でも中には店のハシゴが好きで、いつも違う店に行きたがる人もいる。新しい店、メディアで評判の店を試すのもいいけれど、でもそれは店の浮気だから、そういう人はいつまでたっても「私の店」が持てない。外の食事の当たり外れは、あなたの日頃の「セレクション」に左右されるといっていい。
でも人生でいちばん大事なのは、うちで食べる食事だ。家庭はあなたのよりどころ、そこでの食事は人生の根源だ。ネロ・ウルフでなくても、もっとも快適な環境で、ひとに妨げられず、心置きなく楽しむことだ。そうしない人は人生のおいしい蜜を使わずに、窓の外を眺めているようなもの。
ネロ・ウルフのミステリーには意外なメッセージが籠められている。
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