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日本では今あまり流行っていないけど、世界では人気の高いネロ・ウルフ(ほんとはウォルフ)という探偵がいる。天才作家レックス・スタウトが創造したニューヨークの探偵で美食家、蘭の栽培に凝る趣味人でもある。アシスタントは若くてハンサムなアーチー・グッドウィン、コックはスイス人のフリッツ、三人とも独身で、マンハッタンの褐色砂岩の古い豪華なアパートメントに住んでいる。

私がネロ・ウルフが好きなのは、共感するところが多いから。彼は家にいるのが好き、家で食べるのが好き、家の食事を超おいしくする、食事を仕事で邪魔させない。蘭の世話も邪魔させない。頑固で誇り高い人間だ。ぜいたく好きでわがままだから、依頼料は高額なのに年中お金にピーピーしている。

ネロ・ウルフのミステリーはテレビ映画にもなっていて、CS放送で見ることができるが、ストーリーも映画もとてもしゃれていて、なぜこれがもっともてはやされないか、フシギだ。
特に目を惹かれるのは彼の食堂の様子。大きなダイニングテーブルの両端にネロとアーチーが座り、中ほどにキャンデラブラ(枝付き燭台)、紫色のダマスク織のテーブルクロスが掛けられ、同じ材質の細長いランナーが黄色と赤の二種類、長短を重ねて中央に延べてある。端は三角形で先に総飾りがついている。紫、赤、黄色の取り合わせは仏教のお寺の幡みたいでロマネスクな雰囲気。ネロは黄色が好き。黄色のガウンを五枚持ち、ワイシャツも黄色、座る巨大な椅子も特別誂えの黄色い革張りだ。

彼の食堂を画面で見るなり、私は叫んだ。
「すてき! うちもああしない?」
うちにはランナーといえば、白いリネンに白の水玉が刺繍で飛んでいるのと、やはり白に花模様の刺繍の少し少女趣味のがあるだけだ。だんぜん、ネロ風のを手に入れよう、と決心した。
作品には、食事の様子も現れる。最近も「ネロ・ウルフ対FBI」を博多からの新幹線の中で拡げていたら、アヴォカドのサラダが目を惹いた。帰ると手持ちの材料でやってみた。オイリーな緑の果肉に、油気たっぷりのピーカン、そこへ苦みのあるクレソンのとりあわせ、彩りも緑と茶で美しい。

こう書くとすっきりできたみたいだけど、本の一行から類推でつくるのだから、最初は間違えた。本には、「オランダガラシと黒クルミの果肉を添えたアヴォカド」とある。オランダガラシ? これはホースラディッシュにちがいない、黒クルミなんか知らないが、ピーカンはクルミの仲間だから、ピーカンをオーヴンで焙って使った。

というのは料理の翻訳は怪しげなことが多く、この本でもポピュラーなディルを「いのんど」、フェンネルを「ういきょう」なんて訳しているから、勝手に翻案したのだ。ちょうど冷凍してあった北海道の野ワサビ、これはホースラディッシュの代わりになるから、それを生かした。とてもおいしかったが、あとで念のため大辞林をひいたら、オランダガラシはクレソンの別名とあったのでびっくり。

では、小説にレセピがついているとその料理をつくるかというと、そうでないから、おもしろい。アメリカの新しいミステリーに、牧師の妻で料理家でもある女主人公フェイスが探偵をするシリーズがある。巻末にレセピが幾つか載っているけど、作る気が起きない。思うに文章の中においしそうに書いてあるかどうかが、決め手のようだ。情報量ではなく、文章力なのである。そもそも作るかどうかは、読み手の好奇心とチャレンジ精神にかかっている。

好奇心でつくったサラダ、二度目で正しくできた



この三人コンビの魅力は、ユーモラスな雰囲気にある。キッチンでフリッツが赤い小さな実をいじっている。ネロが何かと訊くと、料理に入れるジャニパーベリーだと言う。
「幾ついれるのか?」
「四つです」
「それは多すぎる、三粒だ」
「いいえ、四粒がいい」
と、たがいに譲らない一幕がある。マリネや煮込みに入れる小さなベリーだ。食通にとってはその数は重要で、ローリエも一枚か一枚半かで、母娘で議論する話が昔ニューオルリーンズで買った料理本にもあった。フランス植民地だったこの街は、美食で知られる。

ネロはうちで食べるのが好きだから、田舎でたまたま事件に遭って解決のために足止めされると、
「私はうちで食事したい」とニューヨークに帰りたがる。ではニューヨークでどこにも行かないかというと、行きつけのよくわかった店は別扱いだ。

そこは彼の好みを心得ていて、別室に、特製の大きな椅子(なにしろ百キロある巨体)が用意され、ソースの好みもわかっている。つまり得意客の好みを心得た、店主と会話のある店なら、彼のお眼鏡にかなうのだ。と書いてくると、これは家での食事と、外で行く店の選び方の上で、私たちにも共通する課題が書かれていると気づくじゃないか。ミステリーの思わない効用だ。

レストランから蕎麦屋まで、ホテルのコーヒーショップから街の喫茶店まで、どこでもいいというわけじゃない。私たちは自然に、好きな店をセレクトして、そこを贔屓にする。味がいいこと、お店の環境が快適なことは当然だけれど、大事なのは、こちらの気持ちをわかってくれる店、よけいなベタベタがなく、でも心得てサーヴィスする店、つまり呼吸が通いあう店だ。

でも中には店のハシゴが好きで、いつも違う店に行きたがる人もいる。新しい店、メディアで評判の店を試すのもいいけれど、でもそれは店の浮気だから、そういう人はいつまでたっても「私の店」が持てない。外の食事の当たり外れは、あなたの日頃の「セレクション」に左右されるといっていい。

でも人生でいちばん大事なのは、うちで食べる食事だ。家庭はあなたのよりどころ、そこでの食事は人生の根源だ。ネロ・ウルフでなくても、もっとも快適な環境で、ひとに妨げられず、心置きなく楽しむことだ。そうしない人は人生のおいしい蜜を使わずに、窓の外を眺めているようなもの。
ネロ・ウルフのミステリーには意外なメッセージが籠められている。


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