No.210




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●深い森の中を黙々と登って行った。足元には、夏の初めに白い花を咲かせていた御前橘の群落が、今は五〜六ミリの小さな赤い実を沢山付けている。背から下ろした荷が、儂の尻が、その幾つかを潰した。「済まんな」と独り言つ。そして赤い実の二粒三粒を口に運んだ。殊更旨いわけじゃないのになんだか嬉しい。「白い花」と書いたが、四枚の花弁のように見えるそれは、実は総苞片なのだそうだ。頭上に白い四枚の総苞をひらひらさせていた山法師の木も、今は十五ミリ程の暗赤色の丸い実を付けている。背伸びして、やはり二粒三粒摘み採った。なかなかの味だ。一個の果実のように見えるそれは、沢山の実が集まった集合果なのだそうだ。植物の構造は不思議だ。キウイフルーツの原種、猿梨を見つけた時も思わず小躍りしたくなる。

▲躑躅の仲間の小低木たち…… 岩黄櫨(アカモノ)や白玉ノ木の実を見つければ、もちろんこれも二粒三粒…… 臼子や酢ノ木の実も同様である。ティンバーラインにとび出せば、黒豆ノ木(浅間葡萄)や苔桃や岩高蘭の世界となる。二粒三粒…… いや四粒五粒とつい欲が出る。大量に収穫してリキュールやジャムにしたいところだが、そんな採り方をすればか弱い彼女たちは忽ち根絶やしとなるから、今はその場でちょっと摘まみ食うだけにしている。

■たとえば山葡萄―― まだ黒く完熟する前の瑞々しいやつが好きだ。酸っぱさに舌を萎ませながら、しかしその味を知ってからは、栽培種の人工的な甘さがバカバカしくなった。たぶんそれがきっかけで、儂はあらゆる食物の本家本元・天然無垢の味覚に惹かれるようになったのだと思う。

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