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大昔から、人と塩は食のみならず、色々な形での結びつきがあります。神事に塩は大切なものであり、店頭の盛り塩には、商売繁盛、魔よけなど色々な意味が込められています。嫌な客が帰ったあと、女将が「塩をまいとき」というような使われ方もします。
沖縄が琉球と呼ばれた時代から、人々の生活は自然塩と深く結びついていました。海岸線に接する地域の住人は家族単位で塩を作っていました。
粟国島でも潮が引いた後に出来る水溜りの海水を天日で濃縮し、濃度の上がった海水を炊き上げ、塩を得ていました。その海水を濃縮する海岸の自然の岩穴も家庭、家庭で決まっていました。島民は平等に海塩を得ることが出来たのです。

粟国島の年中行事で最も大きなものが「マースヤー」です。旧暦の正月前後に行われる行事で、過疎のこの島でも、この日ばかりは賑わいを見せます。新年を祝うため本島、本土から若者達が戻ってきて、島の人口は一気に倍になります。
旧暦の大晦日の夕方から、三線の音色と島唄に合わせ、子供達が集落内を一軒一軒踊ってまわります。三、四曲踊ると、隣の家に移り、空家の前でも律儀に踊ります。営業していないスナックの前でも踊ります。そうやって朝まで踊り続けます。

「マースヤー」とは「塩売り」を意味します。
昔、医者にかかることが大変なこの孤島において、塩は味付けとしての材料というより、薬用として貴重品であったのでしょう。つまり、海塩に含まれるにがり分は、怪我の傷口を殺菌し、夏場の暑さで汗と共に放出された、ミネラルの補給にも役立ちます。また、肌あれのとき海水に浸かり、うがいのときに塩水を使うと、海塩の作用で症状の改善が期待されるのです。

「マースヤー」は、その貴重な塩を売って島中をまわり、無病息災を祈願するのです。
また、すべてのものに神々が宿るこの島では、神事のみならず、生活の中においても、海塩は欠かせないものなのです。年の瀬、去り行く年に感謝を込め、来る年がすばらしい年になるよう祈願を込めて海塩が使われます。粟国島の一年は海塩で始まり海塩で終わるのです。

塩、それは海からの贈り物です。「いのちは海から」という言葉は私の塩作りの原点です。空気、水、と同じように塩は人が生きていくために必要不可欠なものです。私がつくる『粟國の塩』は、海水のみを原料とし、昔ながらの製法をもとに、海水のミネラル分がバランスよく馴染むように工夫しています。人の体液のミネラルのバランスとほとんど同じなので、体にも優しい塩なのです。

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