以前は個人のいいお客がたくさんいて、店側も心きいた主人(いまは社長、会長と名前もいかめしい)が、お客の様子を見てまわった。ニューグランドは、ダイニングのスターライト・グリルで食べていると、社長の野村さんが、テーブルごとに回ってお客に挨拶していたのを、子供の私も覚えている。おとなになってからカレーを食べに行ったときも同じだった。ホテルオークラは戦後の後発ホテルだけれど、創業者の小野さんもよく見回っていた。
ニューグランド旧館の女性用トイレットは、昔のままの姿なのを発見。現代砂漠の中のオアシスみたい。洗面台は茶の大理石で真鍮の十字型の蛇口、白陶器の真ん中にCHAUDとFROIDのマーク。白ペイントの木製のドア、クラシックな真鍮のドアハンドル、低い仕切り。ロンドンのサヴォイもこれだ。リーガロイヤル東京は新しいホテルだが、トイレットのブースはこの式のクラシック仕立てにしている。
プログレッシヴ(進歩的)の反対語はリトログレッシヴ(逆戻りする、後退)で、建築や美術のレトロ趣味はわかるけれど、政治や社会意識のレトロはノーだ。ニンゲンが〈進化して〉ロボット風になるのは不気味、情緒はレトロなほうが救われそうだ。
帰り際、フロントの反対側の壁の古い写真をいれた額に気づいた。古きよき時代の日本のホテルが六枚。日光の金谷ホテル、箱根宮の下の富士屋ホテル、軽井沢の万平ホテル、奈良ホテル、東京ステーションホテル、そしてこのニューグランドだ。どのホテルも子供時代から泊まっていて懐かしい。例外は東京駅のステーションホテル。ここは東京人は泊まる必要がないから、なじみがない。
この四月ニューヨークから来たいとこが成田から帰る前の日、ここに泊まった。その日関西から新幹線で戻って、翌朝成田エキスプレスに乗るから、インターネットで予約したらしい。
「慰めに行かない? きっと淋しがってるわよ」私たちはピンときた。朝食用にルヴァンのクロワッサンとオレンジを持って夜訪れた。果たして友達との会食をすませたヤスコは、くさび型の小部屋でちょっと落ち込んでいた。メイド部屋という感じだ。
「ひどいでしょ、オークラに戻ればよかった」
窓から見下ろすと、外でなく数階下の東京駅の中央ホールが見下ろせる。
「まあ面白いじゃない? 線路を見る側よりいいわよ」
慰めて、二階のバーに行った。オーク張りの暗いクラシックなバーだ。丸の内側に小さな窓、狭いけれどほっと一息。バーテンダーは、その道の神様といわれた今井清さんの薫陶を受けた人だった。滞在中〈カクテル恋し〉だったヤスコは、カクテルでなくバーボンの水割りを、私はギブソン、アミは運転手なのでソフトドリンク。ここは東京駅から家路につくひとのしばしの憩いの場、そして出張族の塒らしい。駅の慌ただしさがそこはかとなく漂っている。ちょっと手入れがわるいホテルだったが、その古めかしさもわるくなかった。
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