No.215




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●落語に、鰻屋の前で匂いを嗅ぎながら飯だけを食う様な噺があったと思う。昨秋のこと、儂がお勝手で新島産の青室の干物を焼いていたら、隣家の馬鹿親仁が焼酎を片手に裏路に現われ、換気扇から洩れる青室の“薫り”を肴にチビチビやり始めた。小窓を開けて「こらッ」などとやっているうちに、肝心のものは、焼き過ぎで、台無しになった。

▲近郊の雑木の山へ出掛けた。干物の焼き直しである。焚き火が燠になるまで小一時間かかる。二重になった真空パックを破り、干物を取り出して、火にかざした。相棒が持参の焼酎を煽りながら、熱々のところをむしりむしり、噛った。島焼酎なら御誂え向きと言えるのだが、あれは鹿児島産の芋に違いない。すっかり酔いが回った。平茸入りの湯豆腐と味噌焼にぎりという簡素な夕食を済ませて、天幕に潜り込んだ。あの干物と焼酎はよく似合うようだ。

■可成り以前の話――山の湯に着くや否や友人のザックから酒壜が現われ、もう一人の友人のザックからは、小さな密閉容器に入った塩汁干しが出てきた。それはすでに ってあったから壜詰めになったあれかも知れない。早速茶碗酒の“乾杯”となった。あの“薫り”との最初の出合いである。しかし格別の興味を抱いたわけではない。“薫り”なら鮒鮨を、固さなら断トツ鮭の酒浸しを儂は好む。

●「クロスケめ“薫り”におったまげて近付けねーな」などとほざきながら、焚き火を囲んで深く酔った。次の朝、目と頭を醒ますと、焚き火跡の浅い雪積の上に、クロスケやコンスケがうろついた痕跡がくっきりと残っていた。ハハハハ、やっぱり来たか――。

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