No.217




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●娘・花子は小学校に上がると、いきなり「桜は四月に咲きます」と教えられて、大いに当惑した。娘は十二月から六月までの種々の桜をすでに知っていたからだ。幼くして真理を通すか大勢に迎合し楽に生きるかの選択を迫られたわけである。当時は大きな墓地の近くに居住していた。墓地には沢山の染井吉野があった。花時には職場単位の団体などが競って場所を取り合い、そして他人さまの墓の間で、呑めや唄えの大宴会を繰り広げる。そんな様子をテレビや新聞が好んで報道していた。お墓なんて気味が悪くて大嫌いな儂には、ちょっと理解しがたい光景である。その墓地の周辺にも、一本ないし数本ずつの、見事な染井吉野が何か所もあった。外出時、儂はちょいと寄り道をしては、その花の下を通り抜けたりした。今は地名に桜の字が付く土地での仮住いだが、残念ながら、まだ鑑賞に堪え得る桜の名木は発見できずにいる。

▲さて、団子である。何某という歌姫のおっ母さんが以前に大ヒットさせた〈夢は夜ひらく〉という曲を速回しにして、「ダンゴ、ダンゴ、ダンゴ……」と唄う童謡が流行ったのは、それほど昔のことではない。あの頃、列車の中で朝食代わりにみたらし団子をぱくつく山賊仲間がいた。照れ臭そうに「一本いかが」などと儂にも勧めた。団子を食べる機会はあっても、儂自身がそれを買い求めたことはなかった。花に誘われるように、ある日、駅前の商店街でその一パックを買って帰った。その味は今一というか、今二、今三だった。翌朝、儂は一番列車に乗って東京の築地へ向かった。市場内の団子屋さんで醤油五本と漉し餡五本、計十本の団子を買うためだけにだ。馬鹿げてるけど、しかし、食べて後悔はなかった。

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