なぜなら、彼とお料理は若い時の印象とかけ離れていたからだ。小柄ながらラグビー部の選手、バイクの乗り手のハードなイメージ。未舗装の悪路だった一八号線を、軽井沢から東京まで夜、女の子を後ろに乗せて突っ走り、「背中が焼けそうだった」 夢中で走っていると、開けた口の中に蛾が飛び込み、バイクを停めることもできないまま、「しかたない、呑み込んじゃった」と笑う豪快な男だ。
彼とは、太平洋戦争最後の年の子供時代、軽井沢で友達になった。彼は新潟に家族と疎開していて、軽井沢の疎開先に遊びに来たのだった。父親同士が戦争の縁で知り合っていた。戦後は家も近く、彼とは付かず離れずの友達として数十年。おたがい年齢を重ねて、彼は社長業からリタイアし、時間に余裕ができるにつれ、つきあいがよみがえった。
つきあいの強力な媒体は食べ物である。マーマレイドをきっかけに、彼がマメ人間で、ジャム作りが得意、園芸にも凝っていることがわかった。こまやかな神経の持ち主であることは、マーマレイドを詰めた瓶の愛らしさが示している。好きなジャムの瓶はとっておいて、ジャムに再利用する。瓶には手刷りのラベルが貼ってある。
「圧力鍋で作るんだけど、消毒してまだ熱い瓶に、熱いジャムを入れて、すぐ蓋をするのがコツ」
夏みかんを送ってしばらくすると、彼からきれいにパッケージされたマーマレイドとリンゴジャムが届いた。ブルーのウエッジウッドの紅茶の箱に、瓶がふたつ、ちんまり収まっている。赤と白のギンガムチェック風の格子の蓋、ブルーの紙にはメモ。リンゴは簡単にできるけどマーマレイドは時間がかかること、今回の夏みかんは渋味を残しすぎたかも、と気遣いの言葉が書いてある。
翌朝はクレープを焼いた。薄いクレープにコッテージチーズとサワークリームをまぜたミクスチャーを置き、そこにマーマレイドを載せて、くるりと巻いて食べる。リンゴジャムは、クレープのほかにボンレスハムを焼いて、それに添えた。いい味だ。友達がつくったということが、味をいっそう引き立てる。
娘がちょうどつくったチキン・ガランティンをひとつ、アルミ箔に包んで、開新堂のクッキーのピンクの缶に詰めて、お返しに送った。
「おいしかった」と電話がきた。「うちは娘が隣だから、そこにも分けたのよ」
追っかけて、またクロネコが来た。松山へ送ってというマーマレイドとジャムだ。すぐ転送した。じき松山から電話だ。ああ忙し。
「すごい腕! 夏みかん彼に送りましたよ」
こうして、松山――ヨコハマ――東京というフード・トライアングルが生まれた。それには、現代の早飛脚、クロネコの介在がある。でも根本はヒトのマメさと誠意だ。
マーマレイドの瓶をまえに、昔のつきあいは、こんなやりとりが多かったのじゃないか、私は気づいた。いまほど店が便利でなく、食べ物は手づくりの時代。お魚や野菜果物が、店に捨てるほどあふれていず大事に食べた時代。人の生活はのんびりしていて、料理にも縫い物にも時間がかけられ、男もあくせくせずに、家業にいそしみ、会社づとめのひとも、五時には家に帰る。到来品のお裾分けには、そんな時代背景があった。
「お珍しいものを」のお礼の言葉は本音だろう。
釣好きの父は、奥日光で釣れすぎた鱒を、近所、親類、友達にくばり、ときには掛かり付けの医者や出入りの商人にも配っていたっけ。これは一方通行だったかもしれないけれど、食べ物のトライアングルはいつの時代にも楽しいものだ。
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