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場所と場所をつなぐトライアングルには、どこか怪しい雰囲気がある。麻薬のトライアングルは、ラオス、カンボジャ、タイの国境にまたがる三角地点の、ケシの栽培地帯。海では魔のトライアングルはカリブ海の三角地帯で、海難が頻発する地域だ。

最近、うちにもトライアングルが生まれた。食べ物が移動する、楽しくジューシィな三角形だ。それはこうして始まった。いつものように、戸口にクロネコのお兄さんがやってきた。腕にはずっしり重い、大きな段ボール。宅配便には好奇心いっぱいの猫のように飛んで出る、娘が呼んだ。

「ママ、カラスさんからよ」私も飛んで行く。猫もとことこついてくる。「何かなー?」
南国松山からの荷物は、心あたたまる品が多い。こういうのをアメリカではcomfort packageと呼ぶ。ぬくもり便、おなぐさめ包みなんていうことか。

開けると、箱いっぱいに金色の果物がお日様みたいに輝いている。達筆な筆ペンの手紙に、烏谷家の無農薬の夏みかん、伊予かん、見るだけの柑橘類、カンボシと書いてある。
「これ、私たちだけじゃ食べきれない。メジロにお裾分けしても」冬場の鳥に私たちはちょっぴり自分たちの果物を分けてやる。食堂の窓辺のシラカシに、餌場用にチーズの木箱がつけてある。

「あ、彼ならおいしいマーマレイドにできる」
「そうだ、正昭さんに送ろう!」
すぐ松山のカラスさんにお礼の電話、そしてジャム作りを趣味にしてる男に送ってもいい? と訊いた。
「もちろん! マーマレイドには夏みかんよ。伊予かんは向かないのよ」パリパリの新聞マンである。

次の電話は横浜だ。正昭さんは電話にでてきて、
「いいね!」とよろこんだ。
「たくさんあるから驚かないで。うちにはひと瓶だけちょうだいね」
「よく出来たら、カラスさんにも送るよ」

早いほどよい、その日のうちにクロネコで、夏みかんぜんぶと伊予かん、ちょうどあったリンゴも入れて横浜に送った。なんだか、ワラシベ長者のような末広がりの人のつながりが生まれる予感がした。

「よかった! 正昭さんを思いついて。せっかくのみかんが生きるわ」
彼は去年、得意の技のマーマレイドを、ひと瓶くれたのだった。誕生日の食事を銀座のペリニィヨンで祝ってくれたときだ。
「え? こんな隠し技があったの?」私は驚いた。


ジャム作りの名手はすてきなオトコ


なぜなら、彼とお料理は若い時の印象とかけ離れていたからだ。小柄ながらラグビー部の選手、バイクの乗り手のハードなイメージ。未舗装の悪路だった一八号線を、軽井沢から東京まで夜、女の子を後ろに乗せて突っ走り、「背中が焼けそうだった」 夢中で走っていると、開けた口の中に蛾が飛び込み、バイクを停めることもできないまま、「しかたない、呑み込んじゃった」と笑う豪快な男だ。

彼とは、太平洋戦争最後の年の子供時代、軽井沢で友達になった。彼は新潟に家族と疎開していて、軽井沢の疎開先に遊びに来たのだった。父親同士が戦争の縁で知り合っていた。戦後は家も近く、彼とは付かず離れずの友達として数十年。おたがい年齢を重ねて、彼は社長業からリタイアし、時間に余裕ができるにつれ、つきあいがよみがえった。

つきあいの強力な媒体は食べ物である。マーマレイドをきっかけに、彼がマメ人間で、ジャム作りが得意、園芸にも凝っていることがわかった。こまやかな神経の持ち主であることは、マーマレイドを詰めた瓶の愛らしさが示している。好きなジャムの瓶はとっておいて、ジャムに再利用する。瓶には手刷りのラベルが貼ってある。

「圧力鍋で作るんだけど、消毒してまだ熱い瓶に、熱いジャムを入れて、すぐ蓋をするのがコツ」
夏みかんを送ってしばらくすると、彼からきれいにパッケージされたマーマレイドとリンゴジャムが届いた。ブルーのウエッジウッドの紅茶の箱に、瓶がふたつ、ちんまり収まっている。赤と白のギンガムチェック風の格子の蓋、ブルーの紙にはメモ。リンゴは簡単にできるけどマーマレイドは時間がかかること、今回の夏みかんは渋味を残しすぎたかも、と気遣いの言葉が書いてある。

翌朝はクレープを焼いた。薄いクレープにコッテージチーズとサワークリームをまぜたミクスチャーを置き、そこにマーマレイドを載せて、くるりと巻いて食べる。リンゴジャムは、クレープのほかにボンレスハムを焼いて、それに添えた。いい味だ。友達がつくったということが、味をいっそう引き立てる。

娘がちょうどつくったチキン・ガランティンをひとつ、アルミ箔に包んで、開新堂のクッキーのピンクの缶に詰めて、お返しに送った。
「おいしかった」と電話がきた。「うちは娘が隣だから、そこにも分けたのよ」
追っかけて、またクロネコが来た。松山へ送ってというマーマレイドとジャムだ。すぐ転送した。じき松山から電話だ。ああ忙し。

「すごい腕! 夏みかん彼に送りましたよ」
こうして、松山――ヨコハマ――東京というフード・トライアングルが生まれた。それには、現代の早飛脚、クロネコの介在がある。でも根本はヒトのマメさと誠意だ。

マーマレイドの瓶をまえに、昔のつきあいは、こんなやりとりが多かったのじゃないか、私は気づいた。いまほど店が便利でなく、食べ物は手づくりの時代。お魚や野菜果物が、店に捨てるほどあふれていず大事に食べた時代。人の生活はのんびりしていて、料理にも縫い物にも時間がかけられ、男もあくせくせずに、家業にいそしみ、会社づとめのひとも、五時には家に帰る。到来品のお裾分けには、そんな時代背景があった。

「お珍しいものを」のお礼の言葉は本音だろう。
釣好きの父は、奥日光で釣れすぎた鱒を、近所、親類、友達にくばり、ときには掛かり付けの医者や出入りの商人にも配っていたっけ。これは一方通行だったかもしれないけれど、食べ物のトライアングルはいつの時代にも楽しいものだ。


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