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昨年の八月の検診で、糖尿予備軍と診断されいささかパニクッた。体重を減らし、血糖値を下げ、ヘモグロビンA1Cという聞き慣れない数値を下げねば、毎日数回注射をしなければなりませんよ、と、まるで脅しのようなドクターのお言葉であった。

そこで、小心者の僕としては、注射だけは回避したいと考え、毎日の食事の見直しと運動を継続する誓いを立てた。運動と言っても、大したことをするわけではない。日に二、三回の犬の散歩を、時間が許す限り長時間行うことと、仕事の合間を見てスポーツクラブに赴き、小一時間自転車を漕ぐ。この自転車運動は、週に二回くらいしか時間が取れない。が、一回の運動で二百五十キロカロリーは消費出来る。

食事は、朝のニンジンとリンゴのジュース。昼はなるべく日本蕎麦。ここ二十年近くは、車通勤を続けていたし、運動といってもたまさかのゴルフ。犬の散歩だって、犬中心であったから、大した運動量にはなっていなかった。夜の食事も、意識的に野菜を多くとるよう心掛けた。

その結果、昨年の暮れには、八十キロあった体重が七十五キロくらいに落ち、三月には何と六十九キロ台にもなったのである。減量作戦を始めた当初は、確かに空腹感も感じたが、不思議なことに胃袋が収縮するに連れて、腹が減ったという感覚が消滅したのは事実である。それより、食事がおいしく感じられるようになり、少量のものをゆっくりと咀嚼するようになった。

Kubota Tamami

当然のことながら、付き合いで飲んでいた酒もきっぱりと断るようになり、酒は全く不必要な暮らしが出来るようになった。ま、酒に関しては、もともと余り飲めない体質であったのも幸いしたのである。だから、我が家には極上のワインや日本酒、それに昨今は大変な値が付くようになった焼酎の類いが、半地下の倉庫の中に貯まってしまった。そこで、酒好きの客人には、家で酒を出さない代わりに、気前よく酒を持って帰って頂くよう心掛けたのである。

その結果、三月末の検診では、血糖値もヘモグロビン何とかも、全くの正常値。ドクターには、優等生の御墨付きを頂いたのである。そんな折に、熊本で酒店を開いている友人が、麦焼酎を七年間瓶の中で寝かせたというものを送って下さった。昨今の世の中の風潮は、焼酎というと芋がもてはやされているようだ。だから、正直なところ大した期待はしていなかった。ところがである、仕事関係のオーストラリア人に飲んで頂いたところ、この酒は何だと騒ぎ出した。単なる焼酎だ、と告げても納得しないのである。

「この酒は、我がファミリーの故郷のスコットランドのシングルモルトに似ているが、それよりはるかに旨い。こんなおいしい酒は、初めて飲んだ。どうやったら手に入るのか」

彼は僕を睨むようにまくしたてた。送ってくれた友人にこのことを伝えると、限定生産の酒だから手に入れるのはかなり難しいけど、後二本だけなら送りますよ、と言って快く送って下さった。

そこで、その友人を再び招いて酒を渡すと共に、僕もロックで飲んでみた。確かに、香りは焼酎ではない。むしろ、ウィスキーの方が近いかも知れない。が、仄かな甘味と、品の佳い味わいはスコッチとは異なる。日本酒のテーストを持ち合わせたスコッチと言うべきか。驚くのと同時に、こんな旨い酒を本当にちびちびと飲み、旨いものも少しだけ食べ、しっかりと体を動かすことを改めて心に誓ったのである。今の心境は、素晴らしき人生に乾杯、というところだろう。