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朝、起きるといちばんにすることは、e-Mac、私のパソコンの電源を入れること。顔を洗うのも、コーヒーを入れるのも、そのあとだ。朝いちばんにe-mailを見なかったら、世の中から切れたみたい――これもパソコン中毒かしら?

「あ、ヤッちゃんからメイル。れれ、東京に来るって! アレッサンドラと一緒よ」
ヤッちゃんはニューヨークの私のいとこ、アレッサンドラは彼女の娘だ。
「ワーイ!」歓声を上げたが、すぐはっと気づいた。レストラン、どうしよう? である。

東京にこんなにレストランがあるのに、ニューヨークやパリみたいな、外国からのお客を連れていくのにぴたりの店がないからだ。東京のフレンチは、味はいい。でも、レストランは味だけではない、パフォーマンスの場。味のよさ、器や部屋の華やかさ、ウェイターの質、何よりもお客のヴァラエティ、これらの混ざり具合が見事な交響曲を奏でて成り立つ。でも東京にはそれがない。ことに人間の部分がダメだ。たいてい、女ばかりのグループ、男ばかりのビジネス会食、カップルは垢抜けない若い男女。おしゃれな大人の男女がおしゃべりと食事に興じる、外国の都市なら当然の華やかな風景がない。マストロヤンニやカトリーヌ・ドヌーヴのようなすてきな大人がいない。これは店のせいでなく、お客の責任だ。店内に楽しいどよめきがなく、しんとお通夜みたいなのは、お客がわるい。

京都なら『川上』や『さか本』、祇園なら『松八重』で完璧にエンタテインできる。京都はおとなが遊ぶソフィスティケートされた街。東京はビジネスと官僚の街。野暮なのだ。結局、東京は「江戸」でいくしかない、と結論に達した。

「江戸なら、浅草。浅草は友達になった、なじみの店も多いわ」
「そして、美家古寿司で食べよう!」すぐ電話で予約。
ここは小さいながら『久兵衛』に並ぶ店、味の構成では、美家古が上のように思う。

ヤッちゃんことヤスコにe-mailすると、江戸探訪ぜひ、アレッサンドラも生の魚ダイジョブ、お寿司大好きで、決まった。ヤスコは私の同い年で子供時代の大の仲良し、娘のアレッサンドラは、うちのアミと同い年。ヤスコは戦後アメリカ人と結婚して、ボストン、次いでニューヨーク州に暮しているが、最近ニューヨークに行くたびに、私たちは彼女に会い、アレッサンドラとも親しくなった。ヤッちゃんは私たちをニューヨークで最高の『ル・ベルナダン』や『ジャン・ジュルジュ』に招いてくれた。そこはニューヨーカーはもちろん、ザガットでも最高の評価を受けているし、「見る・見られる」はなやかなレストランだ。これと同じ高級な『ダニエル』も含め、ニューヨークにかなうフレンチは、東京にはない。

外国からのお客の多い友達に訊いても、
「ほんと困るのよ、京都はいいけど。東京は無いねー」。デザイナーらしく、彼は「東京の店はペチャンコなんだ。味だけで、他がないからね」と評した。そう、レストランを世界の標準に仕立てるものは、お客の層とサーヴィスの厚みだ。
フランス人の聖職者は「広尾か六本木のてんぷら屋か、料理上手の人の家庭料理です」とあきらめ顔。


美家古寿司の漬け丼は握りと並ぶ人気者


今度の大発見は、浅草は江戸の気風を持ちながら、インターナショナルな街にどんどん変貌してることだった。外国人が大勢歩いている、そして買うべきものを知っている、お店では英語が通じる、態度もフレンドリーでオープン、カードも使える。日本じゃないみたいだ。でも考えると、江戸っ子は役人や権力キライ、意気で生きる人たちだから外国人との共通項を持っているのだ。

ニューヨークからのお客というと、ちゃんと英語の応対がくる。そして、安い! ちりめん風で、黒地にしゃれた柄のポケットや縁を斜めにつけたエプロンドレスが、なんと二千円。アレッサンドラが四ヶ月の赤ちゃんにコットンのハッピとおそろいのパンツを買うと「フォアマンス? ディスイズグッド」とおかみさんがにっこり渡す。

「和ばさみ買いたいの」とヤッちゃんが言った。「『かね惣』に案内するつもりだったのよ。代々の刃物のいい店よ」。彼女は和ばさみを三本買った。店も手慣れたもので、はい、と三寸五分のサイズ千三百円を出す。いいお土産だ。そこへドイツの男数人もはいってきた。和ばさみは、西洋にはないから、いま外国での人気商品だと知った。よく切れて、左右どっちの手でも使える。

美家古寿司は、生粋の江戸ッ子の主人自らがにぎる江戸風のにぎりを誇りにしている。小さい店だから、カウンターは七人でいっぱいになる。お寿司はタネの説明がむずかしい。「穴子って何?」「知らない。でもファミリー・オブ・イール(うなぎ)よ」。『弁天山』はおまかせで十二カンとのり巻きが六つ。

「ここのにぎりは、タレなり、お醤油なり、シメてあったり、焙ってあったりで、そのままの生はないのよ。それが江戸のにぎりなの」
「おいしいー! ニューヨークに帰ったら、もうお寿司たべられない!」
「ぜんぜん違うわ」
いとこたちには『漬け丼』も試してもらった。まぐろの醤油漬けが、たっぷりの茗荷に囲まれている超おいしいお丼だ。
「これ、何? おいしー」
「茗荷は何ていうの?」に、主人が、
「ピンク・ジンジャーって言うらしいですよ。私も勉強したんです。お客さまに訊かれるんで。かつをはボニートです」

ここもインターナショナルだ。タイラガイと鯛とわかめのぬたを食べていると、ドイツ人が入り口に顔を見せた。二時に十人でくるけど、中の二人がヴェジテリアンで、魚でないのものをにぎってほしいという注文。毎年、ドイツから来る、日本語成人学級の生徒たちのグループだ。主人はせっせとニンジンを千切りにし始めた。 
夕方から私の家にくつろいで、四人でワインと焼き鳥でおしゃべりに夜を更かした。


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