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「あれー、水道屋さんのヴァンがうちの前、通り過ぎちゃった!」
娘が外から駆け戻って言った。その日は湯沸かし器の取り替えの約束だ。
「変ねー」と言ってるうちに、やがて水道屋さんが現れた。
「すみません、来るまえに木陰でお弁当をすませたもんですから」
「お弁当! えらいわね。コンビニでないなんて」
「コンビニのもの食べてたら身体がもたないすからね、油があわなくてー病気ンなっちゃうから、私が自分で前の晩におかずを詰めて、朝、ご飯を炊いて入れるんです。うちの材料のほうが確かでしょ」

そういえば、うちのペンキ屋さんもお弁当持参派だった。それに共感を覚えるのは、私も同じだからだ。遊びに行くときも、仕事の出張もお弁当持参。できあいの食べ物があふれている中、お弁当持参派は静かに増えている。それは自分で見立てたヘルシーな食物、いい味のものを食べたいからだ。オーガニックフード志向の人は、外の食べ物には用心深い。

ひと昔まえには、オーガニックという言葉もなかった。有機農業を心がける農家は少なく、消費者も色や形のそろった野菜をいい野菜だと思っていた。いまは白いパン、白い砂糖、白い塩が身体によくないことはみな、知っている。「味の味」が創刊された四十年まえの一九六五年は、食べ物や農業の質に無関心だった。世の中全体がワーワーと、モノ造り、カネ造りに走り回っていた。そのシンボルが七〇年の大阪万博。無知ゆえの無責任時代。企業も個人も、野放図に好きなことをして暮らしていた。

あのころ感激して食べたものに、日本でスタートしたばかりのケンタッキー・フライドチキンとマクドナルドがあった。娘が言った。
「ほんとにおいしいと思ったわ。ママが忙しくてお弁当つくるヒマなくて、四年生の運動会にケンタッキー・フライドチキンを箱ごと持たせたから、先生がのぞきこんで『それは何ですか?』って訊かれたわ」彼女が十歳のときのことだ。

おとなだって好きだった。大勢で作業していて、夕方お料理するヒマがないとき、ケンタッキーフライドチキンの店に誰かが走って、バケツサイズを買ってお祭り気分で食べたこともある。いまなら買いに走るより、さっとパスタをつくるだろう。「買うよりうちのほうがおいしいし、ヘルシー」だからだ。


根曲がり竹:戸隠山の自然の恵み、おばあさんが摘んでくる



いまはフライドチキンもマクドナルドも珍しいどころか、ハイカロリーで敬遠される。マクドナルドには「ハンバーガー・コネクション」という言葉で環境学者の批判もある。アメリカのビーフ大量消費のために、安い牛肉生産地として南米の自然破壊が起きているからだ。
いつから私たちの暮らしの態度は変わったのだろう? 変化はゆっくりだったから、気づかないうちに、人工から自然へ、いい加減からヘルシーへ、走り回るより「ゆっくり」へ、と世の中が移行したようだ。環境破壊が意識を変えた。土壌と水を大事に。生態系を守ろう。健康にいい食べ物をとろう。地球の健康を求める気持ちは、人間の健康を求める気持ちと重なる。ヘルシーに生きる意識が九〇年代に盛んになり、二十一世紀の最大の価値になった。グリーン・コンシューマー(環境を考える消費者)も増えている、といっても欧米は七〇%なのに、日本はたった一%だそうだ。

スーパーにあふれるペットボトルは、日本の不健康さ、日本人の意識の低さのしるしだ。家庭がゴミの分別で振り回されるまえに、大元の流通の仕組みと小売りの方法を変えるべきだと思いませんか。ペットボトルや塩化ヴィニールのパックをやめるのが根本なのに、家庭の主婦は、やれ蓋と本体を別にする、ボトルから紙をはがすなんて必死になる。それより、そんなものを買わなければいいのだ。プリパックされた野菜や果物をバラ売りにすれば、ダイオキシンの元も出ない。冷たいお茶はうちでつくれば安くて美味で、健康的だ。あるお茶のメーカーの社長が私に言った。「自販機のお茶はだめですよ。安い中国産でつくっているから健康によくない」

いまは二極分化で、ヘルシーなものを食べるひとと、ペットボトル・チン(電子レンジ)派に大別されるみたいだ。別の二極分化もある。グルメ時代とやらで、レストランはお客で賑わい、雑誌は美食の記事を満載。ホテル、デパートのテイクアウトは花盛り。では、そうしたグルメ流行は「食は大事」の観念を育てるかがポイントだ。ただいじりまわすだけでは、食べ物はおもちゃと同じだ。

自然支配は人間の科学の進歩で始まったが、二十一世紀は逆に、人間こそ自然に養われているもの、ヒトは自然に謙虚になって共存をはかろう、に意識が変わった。ではグルメ時代の人々は、食や自然を大事にしているか? 私はノーだと思う。グルメ流行は、「私、知ってるのよ」風の見栄のためだったり、ときには「食のおもちゃ化」だったりするのではないか? レストランをはしごして知識を誇り、有名ケーキを買って食べくらべるのも自由だけれど、それが暮らしの質を上げないなら、おもちゃでしかない。

おもちゃで何がわるいのよ、楽しければいいじゃない、という考え方もあるだろう。でも、私たちがふんだんに消費し、ムダにしている食料は、世界からの輸入に頼っている。食料輸出国はいま、人工廃棄物による汚染、土壌と水の劣化、生態系の破壊、気候変動による砂漠化の危機にさらされている。食料がこなくなったら? 漁獲が激減したら? SF映画に、近未来の社会で食料はすべて合成の丸薬で、自然物は貴重品。ある夫婦がにんじんを一本手に入れたら、人々がそれを奪い合う話がある。

いま享受している食料が永遠にあると思ってはいけない。グルメであれ、チン派であれ、暮らしの基本に「食べ物を大事に」の精神と、グリーン・コンシューマーになることを据えなければ。二十一世紀は夢の世紀ではなく、人類の知恵を試される変化のときだと認識したい。


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