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沖縄・那覇空港から九人乗りの小さな飛行機で飛立って二十分、粟国島が私の眼下にありました。エメラルドグリーンの美しい海、機内に差し込む強烈な日差しと風に、私の胸が大きく高鳴ったのを今でも忘れることが出来ません。
それは、二十数年間情熱を傾け取り組んできた塩の研究をもとに、今まで誰も取り組んでいない、真に健康にいい塩を作ろうと決心した時でした。
粟国島は、南北に四キロしかない小さな島です。山が無く、平坦なこの島は、私の塩作りに最も必要な風が、一年中吹き抜けます。また、島には、工場も無く、農業も盛んでないため、化学肥料や化学廃液が海に流れ込む心配がありません。
この粟国島は、私が塩作りを始めるためには、うってつけの場所でした。


私は、「いのちは海から」というテーマで塩の研究を始めました。
人間は、生まれる前から海とは切っても切れない関係にあります。海水には、生命の発生と維持に欠かせない成分が溶け込んでいるからです。海水は、九六・五%が水分で、それ以外が塩分です。さらにそのうちの二〇%がミネラル分です。つまり、海水の水分を除いた二〇%がミネラル分です。
人間の体液に含まれるミネラル分と海水に含まれるミネラル分の構成はとてもよく似ています。母親の羊水も海水とほぼ同じミネラル分を含んでいます。
人間の体液が海水のミネラル比率と似ているため、同じミネラル分を含んだ塩こそ人体に優しいというのが、私の考え方です。
そして長い間の研究の結果、海水と同じバランスで塩にミネラル分を馴染ませ、ミネラル分二〇%という塩を完成させることが出来ました。それが、人に優しく、味わいのある、美味しい「粟國の塩」となって完成しました。

昨年11月、イタリアにて


私が塩作りの場所を粟国島に決めた時、もうひとつ大切なことを考えていました。それは、塩作りがどれだけ島に貢献出来るかという事でした。
それは、島には中学校までしかなく、高校に進学すると家族で島を出てしまい、島はどんどん過疎化していました。そこで私は、ここに塩工場をつくれば、雇用を生み出し、島興しにつながると確信しました。現在では、島内で最も多い従業員を雇用しています。
また、工場見学は、年間四千人を超え、工場見学だけの目的で島を訪れる人も沢山います。「粟國の塩」を使った、島の特産品も少しずつではありますが増えてきました。日本の離島の過疎化は進んでいますが、この島は、人口が増えています。

私の塩作りで最も気を使っているのは、環境への配慮です。私の塩工場では、海水の濃縮には自然の風を利用し、釜炊きには、倒木などを使用し、化石燃料は一切使用しません。また、製塩の際に出てくる灰汁は農業に使用してもらい作物によい効果をもたらしています。このように無駄をなくして、すべてが循環するよう心がけています。


これからは、塩づくりを目指す若者には、単なる塩を作る技術だけでなく、ものづくりの大切さと、本物の塩で世界を健康にしていく心を伝えたいと考えています。そして、その中から信念をもって塩作りに取り組んでいく若者が育ってくれればと願っています。
そのために、いろいろな活動に取り組み始めています。
昨年は、イタリア・トリノで行われたスローフード世界会議に、日本代表として参加して「塩と健康」について講演し、よい塩はどうあるべきか世界に発信できるきっかけをいただきました。
そこには、世界中から五千人以上の生産者の代表が集まっていましたが、塩に対しての認識がとても低いことを実感させられ、自分が伝えていかなければならないことの多さに身が引き締まる思いでした。
今年もまた、県からの依頼で、アメリカ・ラスベガスで行われる米国最大の健康食品関連の展示会にブースを持って、「本物の塩」「塩と健康」についてPRすることになっています。
私が塩作りを始めるきっかけになった三人の学者が目指していた「世界の塩を、健康によい塩に変える」という大きな目標を受け継ぎ、その信念を貫くための新しい一歩を、踏み出すことが出来たと思っています。


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