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三十五歳から始まった塩への取り組みも三十三年が経ち、ここ粟国島で本格的に塩作りをはじめてからも十三年になります。自然の恵みとしての塩を作れることに心から感謝し、毎朝、海に手を合わせることから仕事を始めています。

物が少ない孤島だった名残からか、粟国島の住民は、深い信仰心を持ち、すべてのものに敬意を払い、自然や物をとても大切にします。

私の塩作りも出来る限り自然の力を借り、さらに廃物を出さないよう心がけています。例えば、海水の濃縮には自然の風を利用し、釜炊きの燃料は島内から不要になった廃材、倒木、剪定された枝などを集め、燃やして出た灰は畑に還します。運ばれた木が生きていれば工場内に植え直し、育てるよう心がけています。

日本中に物が溢れ、食料は大量に廃棄され、ごみ問題を生み、自然は汚染、破壊され悲鳴を上げている今、資源を循環させ廃物を減らす取り組みはとても大切なことです。この時代に何不自由無く育った若者たちが、どこまで自分たちの将来に危機感を持っているか、とても不安です。


私が塩作りを始めたきっかけは、恩師である谷克彦、武者宗一郎、平島裕正の三人の学者の「世界の塩を、健康に良い塩に代える」という壮大な目標に出会ったからです。師の遺志を実現させるために世界で誰も取り組んだことのない「本来あるべき塩」の完成を目指し、二十余年の研究の結果「粟國の塩」を作り上げました。

さらに世界への第一歩として、一昨年はイタリアで開催された「スローフード大会」に出席し、「粟國の塩」と私の考え方も発表しました。

私の生きがいは、物作りで多くの人(出来れば世界中の)に、喜んでもらうことです。
昨年から、工場内で塩作り体験教室を開いています。ここで私が伝えたいことは、ただ塩作りだけを学んでも意味がないということです。「私の生き方、塩への思い」、「三人の学者への感謝の心」、「自然に立ち向かうのではなく自然と一体となり、自然に従うことの大切さ」、「決まったことだけをするのではなく、自身で考え新しいことに挑戦し、人がやらないことを進んでやりぬくこと」、「決めたことは命ある限り続けること」。これらを多くの若者に伝えたいと思っています。

最後に、塩作りの道を切り開いてくれた恩師に感謝するとともに、今年亡くなられた平島先生のご冥福を心からお祈りします。



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