No.235









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●世間の平均よりは月をボーッと眺める機会はあると思うのだが、日々暮らす中での関わりは希薄……というか殆どゼロに近い。今時のきらびやかな夜景の下では、月を眺め物思いに耽るような竹取物語的・迦具夜(かぐや)姫的な“神仙の美女”などは存在し得ないだろう。

▲随分以前に一度だけ、山中での〈観月の宴〉を計画したことがあった。曖昧に広がる黒木の原生林の中にポッカリと開いた空間に高床式の小さな避難小屋が建ち、傍らに清冽な流れもある理想的な場所を選んだ。だが計画は大型台風の襲来であっさりと流れた。台風の直後に独りでその山を訪ねた。茫洋たる風倒木の海(倒れた大木が三層・四層に折り重なっていた)に唖然とした。ただでさえ『昔、その幽境を延々とさまよい、やっとこさ抜け出した男が家に戻ると、行方不明となった本人の三回忌の法要の最中だった……』という伝説もある、曰く付きのエリアなのだ。儂は一日掛かりで倒木の海を泳ぎ抜け、谷に降りると、山の湯宿の主人とばったり出会った。「そんな処をよく越えて来たもんだ」と彼は呆れ顔を呈し、腰の籠を逆さにして、採りたての雑きのこをすべて儂にくれた。劣悪な山越えの労をねぎらってくれたのだ。

■久々に儂は、あの時果たせなかった山上の宴を再度試みようと考えている。十月六日が十五夜だ(七日が満月のようだ)。前夜の待宵(まつよい)から入山し、十六夜(いざよい)、立待(たちまち)、居待(いまち)、臥待(ふしまち)まで逗留して月を愛でたいと思う。御供えは芋でも団子でもなく、豆でもなく、栗や柿その他でもなく、たぶん山中で採れる茸たちだけになる。月に御供えするというよりは、持参の酒とともに自分たちの胃袋に御供えするだけになると思う。

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