No.237









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●十一月から十二月にかけては夕闇の迫るのが早い(当然明けるのも遅い)。日の長い六月と比べれば凡そ五時間も太陽からの恩恵が割り引かれる。今更ながら山賊としては深刻だ。その極みが今月二十二日の冬至である。「このまま太陽が萎縮してしまっては大変」と思っていたら、この日を境に蘇生の兆が見え、「ヨカッタよかった」と慶ぶ日なのだろう。クリスマスもお正月も元々は多分このお祝いだったはず――ともに松を飾り、神様にケーキをお供えしたりする。

▲冬至から正月までの間が、儂の場合、近年極めて曖昧だ。大晦(おおつごもり)の年越蕎麦を久しく食べてない。厭になったわけじゃない。いろいろ摘まみながら呑み続けるうちに、モーローとして蕎麦を食う余裕もなくなるのだ。以前は群馬のある宿から、ご縁があって(七面鳥ならぬ)姿のままの雉(きじ)をよく戴いたりした。それが丁度クリスマスの頃だった。早速捌いて雉蕎麦を賞味し、あとは正月の雑煮などにも使った。その後も、青森の民宿から「お〜い、雉ばっとさ食いに来ねが〜」とお誘いをうけ、それをご馳走になるためだけに、雪の中を何度か出掛けたりした。普通に考えてクリスマスと雉はミスマッチかも知れないが、なんとなく、儂の中では収まりがつく。

■温かい蕎麦なら(鴨もイヤじゃないけれど)雉だしの効いたやつが断トツ面白い。(たまたまその機会がないのだが)雉の代りに山鳥でもいいのかも知れない。雷鳥という手もあるかな――稜上で一休みする儂の足元で砂浴びなどする呑気な彼らだけど、まさかふん掴まえて食うわけにもいかない。外にも鶴とか、信天翁(あほうどり)とか……夢の中でいいから、一度試してみたい気もする。

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