12







沖縄では、今年も六月二十三日に沖縄戦の慰霊祭が県内各地で行われ、私も粟国島の慰霊祭に参加しました。
私は、慰霊祭に参加するたびに六十数年前の悪夢が全身を駆け巡り、心を新たにさせられます。

玉砕の地サイパンで生まれ、まだ小学校の低学年だった私は、家族と米軍の攻撃から逃げ惑い、やっとたどり着いた防空壕からは日本兵に追い出されるという悲惨な状況の中で育ちました。ある日、森をさ迷って見つけた缶詰を拾っていると、いつのまにか米兵に囲まれて捕虜になってしまいました。缶詰は罠だったわけですが、水、食料をふんだんにくれた米軍を、ずっと味方の軍隊だと思っていたのを覚えています。


戦争も終り、米軍統治下の沖縄では、アメリカ食(缶詰)を取り入れたチャンプルー(ごちゃまぜ)料理が主流となり、食糧難だった沖縄はこのアメリカ食で生をつなぐことが出来たのです。しかしその結果、その高カロリー・高脂肪の食生活の影響で、健康は蝕まれ、長寿までが危うくなっているのが実情なのです。

一方、米国では健康食として日本食、とりわけ沖縄の食がブームとなっているのは何か皮肉なものを感じます。今こそ沖縄自身が本来の医食同源を考えた伝統の食生活を取り戻さなければならないのです。


昨年より日本古来の塩作りを体験できる、揚げ浜式塩田を工場の一画に作りました。粟国島の太陽の下、子供たちが体を使い、汗をかき、自分で作った塩と島の食材を使って料理を作り、沖縄の伝統的な食と、食のありがたさを学んで欲しいと願っています。また、日本は平和で欲しいものは何でも手に入る国になりましたが、大人も子供も我慢を忘れ、物の有難さ、親の有難さが分からなくなってしまったのでしょうか、悲惨な家庭内の事件が多くなりました。この塩田の体験が子供たちに物の大切さ、有難さを知るきっかけになってもらえればと思っています。


「身土不二」と言われるように、日本の土地で出来た食材が日本人の体にやさしく、美味しいのです。また、その食べ物を生かすも殺すも塩です。日本人にとって「医食同源」の中心には「海塩」があるというのが私の塩作りの原点であり思いです。

米国に占領された地から日本の食だけでなく、世界の食を考え「世界のすべての人に良い塩を」を実現させるのが私の使命であると考えています。



.
.

Copyright (C) 2002-2006 idea.co. All rights reserved.