レストランで私たちをしあわせにしてくれるのは、ヒト・モノの関係がバランスよくいってることだ。モノは、食べ物がおいしく、適切な時間で出てくること。店のヒトは、サーヴィスが巧みで、気が利き、しかも出過ぎないことだ。これがほんとにむずかしく、一流のホテルでもそれがちゃんとしてるところは、最近では稀になった。ミス・マープルなら「とても残念だけど、いまはなんでも粗っぽいから。繊細さは流行らないのね」と言うかも。
カフェ・ロブションは店もほどよいサイズで、シェフ――仮にアサヒさんと呼ぶと――のあんばいがいいのと、アテンダントの若い女たちが、静かで心きいてるのがありがたい。すすっと気に入りのテーブルに案内してくれる。
ある日のランチメニュでは、私はタルティーヌ三種盛り合わせに、ガスパチョを頼んだ。
Assortiment de trois tartines――フランス語弱いのよ、は大方のことだから書くと、小さなオープン・サンドウィッチ三種類。ちいさな四角いパンの上に、野菜やハムが盛り上がり、どうやって口にはこぼうか? 南仏の野菜、パルマハムとアスパラガスのグラティネ、スモークドサーモンとアヴォカドという取り合わせは、ひとつひとつが美しく、この三つが白い細長いお皿にちょんちょん載っているのは、愛らしい宝飾品みたいだ。白は最近の流行、ニューヨークのレストランでも白、四角、長方形がしきりに使われて、こんなところにも日本料理の盛りつけの影響が偲ばれる。
ランチメニュに特別な日を設けるときもある。そのときのデザートは冷たいシリーズで、凝ったマスカルポーネやアイスクリームが、白いレンゲに載ってさまざまな味で四種類、白い長四角のお皿に並んで出てきた。家庭でお料理に凝っても、こういう芸当はやっぱりレストランのものだ。家では一種類をつくるのが普通、家にコックがいる時代でない限り、四種類も並べて出すことはむずかしい。
タルティーヌに興味を惹かれて『ラルース』Larousseで引いてみた。これもレストランのいい意味の効果だ。タルティーヌは、スライスしたパンの上にバターを塗り、その上にスプレッドを塗る料理。ジャムでもいいし、凝ればさまざまなスプレッドをいくらでも工夫できる。家庭でいいパンをタルティーヌにすれば、しゃれた軽い夕食を楽しめるわけだ。「公爵のタルティーヌ」というのは、厚さ六センチのパンを四角か丸形にして、卵黄入りのベシャメルソースにおろしたグリュイエールチーズを混ぜて塗り、油でカリッと揚げる。ハイカロリーそうだけど、ぜひ試さなくちゃ! バゲットのくり抜きを使うものもある。
レストランの出現は十八世紀末だが、これは文明にとってすごい発明だ。なぜなら、だれでもそこに足をはこんでお金を出せば、おいしいものを好きな量食べられるのだから。
そんな便利なもののない時代の家庭の主婦は、ずいぶん大変だったにちがいない。恋人同士のデートもいまとはちがうはず。「あのレストランに行ってみない?」と誘えないのだから。恋物語が、街でなく社交の場のだれかの館やディナーの席、あるいは狩りの馬上だったのも、そう考えるとうなづけるではありませんか。
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