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私がこの頃気に入って、ちょこっと寄って軽く食べるところがある。おおまじめにレストランでディナーやランチを食べるのではなく、時間的にはランチにはちがいなくても、もう少し軽く、お楽しみ的に小鳥のようについばむ感じのテーブルである。

それは赤と黒と鏡で内装をした、カフェ・ロブション。日本橋高島屋の一画にある。

フランスの生んだ鬼才、ジョエル・ロブションのカフェだから、サンドウィッチは小さく、おしゃれで、つまむ感じが好もしい。サラダやデザートもこぶり。時分どきは女性で賑わう。おおげさなレストランでないぶん、気軽に腰をおろして息抜きできるのが、この店のポイントだ。

女のひとは、おいしいところで少量食べるのが好きだ。男性はそうはいかない。からだがおおきいぶん分量を欲するからだ。こういうとき、私はブリア=サヴァランを思い出す。

百八十年前(一八二六)に出版されたブリア=サヴァランの『美味礼賛』を初めて読んだのは、創元社の一九五六年再販のフランス綴じの古本で、いまみたいに誰もが彼の名を言う時代ではなかった。彼はグルマンディーズ(グルマン)――美食家、食道楽と呼んで解説し、女性はグルマンディーズにふさわしい、なかでも軽く上品なもの、甘いお菓子やジャムなどを少量食べる人をフリアンディーズというと説明、なるほどと読んだ。当時のフランスの暮らしは制約が多く、甘いものに生きるよろこびを見いだす女の人が多かったにちがいない。彼は大革命の時代を生き延びた教養人で、最後はスイスに亡命している。

グルマンディーズの女性は、人生で実り多いゆたかな日々を持つひとだ。美食を味わうと気分も愉快になり、人間関係がなめらかになる。おいしい食事は、心がければ、そう贅沢をしなくても手にいれられるし、アール・ド・ヴィーヴル、ライフスタイルとしてこの上なく楽しい。街ですれちがう男性の多くが苦虫をかみつぶしたみたいな顔をしてるのに対して、女性が明るいのは、女はおいしいもの好きで、したがって生き方上手が多いせいだろう。

おいしいものを少量食べるのは、シニアの好みでもある。時間とお金を上手に使って人生を味わうのは、シニアの得意とするところ。年金暮らしのシニアはvalue for moneyの店を見つけるのが巧い。

女のひとの嗅覚が鋭いのは、おいしいものをすばやく見つけ、チャンスがあれば、鷹のようにさっと舞い降りてつかむことだ。だからロブションに行って食べよう、というときは、デパートの催事に目を走らせるほうがいい。女性が大勢集まる生け花の催しがあるときなど避けないと、ロブションは女だらけで、ニワトリ小屋にはいったみたいにけたたましい。女は、声のトーンを落として話すようにしたら、魅力が増すのに。


青リンゴのソルベ、イチゴとルバーブなどデリケート


レストランで私たちをしあわせにしてくれるのは、ヒト・モノの関係がバランスよくいってることだ。モノは、食べ物がおいしく、適切な時間で出てくること。店のヒトは、サーヴィスが巧みで、気が利き、しかも出過ぎないことだ。これがほんとにむずかしく、一流のホテルでもそれがちゃんとしてるところは、最近では稀になった。ミス・マープルなら「とても残念だけど、いまはなんでも粗っぽいから。繊細さは流行らないのね」と言うかも。

カフェ・ロブションは店もほどよいサイズで、シェフ――仮にアサヒさんと呼ぶと――のあんばいがいいのと、アテンダントの若い女たちが、静かで心きいてるのがありがたい。すすっと気に入りのテーブルに案内してくれる。

ある日のランチメニュでは、私はタルティーヌ三種盛り合わせに、ガスパチョを頼んだ。

Assortiment de trois tartines――フランス語弱いのよ、は大方のことだから書くと、小さなオープン・サンドウィッチ三種類。ちいさな四角いパンの上に、野菜やハムが盛り上がり、どうやって口にはこぼうか? 南仏の野菜、パルマハムとアスパラガスのグラティネ、スモークドサーモンとアヴォカドという取り合わせは、ひとつひとつが美しく、この三つが白い細長いお皿にちょんちょん載っているのは、愛らしい宝飾品みたいだ。白は最近の流行、ニューヨークのレストランでも白、四角、長方形がしきりに使われて、こんなところにも日本料理の盛りつけの影響が偲ばれる。

ランチメニュに特別な日を設けるときもある。そのときのデザートは冷たいシリーズで、凝ったマスカルポーネやアイスクリームが、白いレンゲに載ってさまざまな味で四種類、白い長四角のお皿に並んで出てきた。家庭でお料理に凝っても、こういう芸当はやっぱりレストランのものだ。家では一種類をつくるのが普通、家にコックがいる時代でない限り、四種類も並べて出すことはむずかしい。

タルティーヌに興味を惹かれて『ラルース』Larousseで引いてみた。これもレストランのいい意味の効果だ。タルティーヌは、スライスしたパンの上にバターを塗り、その上にスプレッドを塗る料理。ジャムでもいいし、凝ればさまざまなスプレッドをいくらでも工夫できる。家庭でいいパンをタルティーヌにすれば、しゃれた軽い夕食を楽しめるわけだ。「公爵のタルティーヌ」というのは、厚さ六センチのパンを四角か丸形にして、卵黄入りのベシャメルソースにおろしたグリュイエールチーズを混ぜて塗り、油でカリッと揚げる。ハイカロリーそうだけど、ぜひ試さなくちゃ! バゲットのくり抜きを使うものもある。

レストランの出現は十八世紀末だが、これは文明にとってすごい発明だ。なぜなら、だれでもそこに足をはこんでお金を出せば、おいしいものを好きな量食べられるのだから。

そんな便利なもののない時代の家庭の主婦は、ずいぶん大変だったにちがいない。恋人同士のデートもいまとはちがうはず。「あのレストランに行ってみない?」と誘えないのだから。恋物語が、街でなく社交の場のだれかの館やディナーの席、あるいは狩りの馬上だったのも、そう考えるとうなづけるではありませんか。


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