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友達夫婦がパリで、月一回の日仏語の新聞を出している。OVNI〈オヴニ〉という名で、ご存知の方もあるはず。ITでも見ることができて楽しい。

アミが「ママ、これうちみたい!」と呼んだ。パソコンの画面に 『パリの子育て・親育て――わが家の躾のくいちがい』というタイトルが踊っている。夫のジルはフランス人、妻が日本人の家庭で、子供の食卓の躾が日仏でくいちがう話だ。

ぶどうの巨峰の皮と種を食べるジル(種は体にいい)、それを真似るミラ(娘)、「私」は皮と種は捨てる。お皿のものも、ジルは一品づつ別々に食べ、彼女はご飯とおかずをまぜこぜに食べる。「そのほうがおいしいと思う」とある。

「あー、そっくりね、これ」思い当たることがある。アミが小さかった頃、私は泊まりがけの出張の際、歩いて三分の両親の家にしばしば彼女を預けた。

「おばあちゃまのところでお食事すると、いっつも注意されたの。おかずとご飯と順ぐりにお食べなさいって。ママは、お料理をぜんぶ食べなければ、ご飯を食べちゃいけないって言ってたでしょ」

そうなのだ。日本では、食卓のものは順ぐりに一口ずつ食べる習慣がある。食べるにも順があるのは、お茶の影響があるのかもしれない。お茶事の厳然とした順番は、慣れればなんでもなくても、無知だとビックリだ。まずご飯とお椀、次にお酒をひとくち、それから向附。お膳に載っていても、向附のお刺身に「先にお箸をつけてはいけません」と吉兆の湯木さんは書いている。逆にインド人は食卓のものを全部混ぜて食べる習慣らしい。

私はアメリカで赤ん坊を持ちアメリカ式に育てた影響で、主食という概念はないし、食事は野菜類と動物性蛋白質を第一にして、穀類は野菜の一種、パンやご飯はおなかがいっぱいになるから、最後に胃に余力のあるとき適宜とればいいもの、というダイエットでやっていた。もちろんミルク優先で友達が後年、

「ぼく、驚いたな! ハル(息子)が幼稚園ぐらいのとき、お茶漬け頂戴って言ったら、あなたはご飯にミルクかけて食べさせてたよ」呆れ顔に言った。
「あら、そうだった? よく憶えてるわね」
「だって驚いたもの」

ミルク信仰で、いいとなると極端に走るのが子供の頃から私のわるいクセ、お茶なんて子供には不要、というわけだ。それが続いたわけじゃないけど、いまも料理が先、パンやご飯はあと。というか、夕食はパンやご飯をまったく食べずに終わることが多い。

「おばあちゃまは明治の女だから、うち式はダメなのね」とアミが笑うように、私の家庭では世代間の相違だった。でもいま世界は民族の移動時代。旧植民地のアフリカから多数の移民がはいったフランスでは、ミックスド・マリッジも盛んだ。一九九七年にパリで知った絵本が『Jambon-Beur』。『ハムとフランス生まれのアフリカ人』だが、ブールの発音はバター〈beurre〉と同じだから、ハムとバターで二つの民族を表わし、異民族間の結婚で子供たちが食習慣から文化や宗教の違いにとまどう様子を描く。移民を入れない日本では、こういう文化の衝突は起きない。起きたほうが変化があっていいと思うけど。


ふたりで一度に20本のアスパラガスが消える


食習慣の違いは、料理法の違いでもある。新しいレセピを憶えると、同じ材料がまったく違う顔を見せるから、暮らしに変化がつき、楽しくなる。異文化交流のプラスはそれだ。そこで思い出すのが、小清水のアスパラガスのこと。

道東の小清水町は、大酪農地帯で、自然が北海道一美しいエリア。惚れこんで家まで借りて家族、友達ともども夏を過ごした一九七〇年代。その関係で私は、ナショナルトラストのオホーツク村ができた際の一号村民である。ここは水と土の改良運動を十年以上してきたから、農産物はとてもおいしい。運動のために無農薬の野菜を会員に売っている。じゃがいもやアスパラガス、玉ネギやカボチャ。この夏アスパラガス一箱一・五キロを取り寄せた。以前は友達と分けたけど、今年はうちだけでまるまる使う。というのは、いろんなレセピがあるので、アスパラガスをドカンとたくさん食べる自信があるからだ。

朝、掘ってすぐ送られた緑のアスパラガスは、水もしたたる鮮度。ロブション風に、ゆでた熱々のアスパラガスの穂先におろしたパルミジャーノをたっぷり載せ、焦がしたバターをじゅっとかける一皿。

次の日は、それより少しカロリーの低い、グリュイエールの厚いスライスを載せて、上からバルサミコ・ヴィネガーをかけてオーヴンで焼く料理。いろんな料理で、二人で四日で使い切った。

レセピは、いまITや本で自由自在。新しい知識を入れれば家庭料理は魔法のように変身する。六月末の小泉首相歓迎のホワイトハウスのディナーのメニュをITで見たら――お皿は派手な金縁でちょっと悪趣味だったけど――野菜に〈ゴマでコーティングしたワイルド・アスパラガス〉を発見。チーズを載せてゴマをたっぷりまぶすのか? 調べよう。
新しい料理はチャレンジングだ。外国の情報は、日々上げ潮のように家庭を洗っている。TV、雑誌、レストラン、外国旅行。それがボーダーレス時代の意味なのに、日本の食卓は、昔ながらの調理法をいまもくり返しているみたい。アスパラガスについてくるレセピも、醤油風味の辛しあえや胡麻和え、肉巻き料理。どうも「小ナミック」だ。これじゃ資金にするアスパラガスの大量消費を期待できない。新しいレセピを載せてダイナミックな食べ方を紹介しようと、私は提案中。

国境なき時代とは、海外旅行や買い物が簡単になった程度のことじゃない。情報公開の広さと速さだ。ホワイトハウスの外国賓客のレセプションや、エリザベス女王の八十歳誕生パーティは、ITで招待客リストから会場の写真、メニュまでくわしく見られる。でも日本は政府も役所も――ホテルやデパートまで――ビクビクものの秘密主義。もっとオープンにしたら面白いのに。情報は私たちに刺激を与えてくれ、人生に変化をもたらすのだから。


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