お料理をする最初から、肉と一緒にいろんな野菜を合わせて使うのが西洋料理だ。そのものの単独の味でなく、野菜を多種類使って立体的に積み上げていく。「味を構築するのね」いつだか、開新堂の山本道子さんが言ったっけ。
「ヴァイオリンとチェロとヴィオラと……ハープや管楽器……オーケストラみたいに」アミが言った。「西洋料理はかけ算ね」
クリーミイなソースで出されるビーフ・ストロガノフだって、十二時間のマリネにニンジン、玉ネギ、シャロット、ベイリーフ、タイム、白ワインがいるし、そしてつくるときにはたっぷりの玉ネギ、シャロット、マッシュルームがいる。肉を焼くときにブランディ、仕上げはクリームとパセリだ。
残りご飯を卵チャーハンにするのは簡単でも、子供っぽい。セロリの茎と葉をきざんで炒めお醤油をたらし、ご飯と白ゴマを加えて炒めると、しゃれたおとなの味になる。山本道子さんのレセピだ。前の日、それにしようと引き出しをあさったら、セロリが終わりでザンネン!
ありものを工夫して料理に仕立てるのは家庭の楽しみでもあるけど、味も、見た目もうれしいファンシーなお料理にするには、ある程度の品がそろっていなければ。ポテトしかなければグラタン(ドルフィノワ)にできても、ヴィシソワーズにはできないし、色は白一色。トマトもバジルもパセリもなく、カリフラワーだけでサラダにすると、まるで雪野原……アミはケパーを散らして色どりにしたことがある。
ニンジンや玉ネギなどの根菜で堅実につくるポトフやシチュウ。ローストビーフはオーヴンで焼くだけ。西洋料理のなかではシンプル・クッキングだ。でも、煮込みでもだんぜんおいしいビーフ・ブルギニヨンになると、たっぷりのマッシュルーム、ベビーオニオンと赤ワインの助けが必要だ。
日本料理は素材の味と姿を賞味するから、単独で使うものが多く、家庭料理でも野菜で挫折することが少ないように思う。魚ならお刺し身、塩焼き、お煮付け。多種類の野菜の伴奏がなくても基本的には困らない。野菜のお皿はべつの一皿で、ほうれん草なら、おひたしやゴマよごし。伴奏はいらない。
そんな風だから、うちの夕食は、野菜料理で「おなかいっぱい」ということもしばしばだ。野菜料理といっても、チキンや小エビやチーズ、卵、クルミ……いろんなものが伴奏してるから、味わいは重層的。オードウヴル、サラダ、グラタンで「もうはいらない!」――せっかく作った野菜のスープはスキップ――になってしまう。
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