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突然、東京のホテルで奏でられた去る者への狂想曲。十一月いっぱいでクローズすると記者会見の記事が新聞にのると同時に混みだしたのが、キャピトル東急のレストランだった。
私たちは、ホテルというものは、いつでも、そしていつまでも「そこにあるもの」と思いこんでいる。それが、英語でいうとOut of the blue――日本語の「青天の霹靂」とまったく同じ表現で、人間の感覚は世界共通なのね――と感心しつつ、ビックリ!

いつでも行かれると思っていたホテルが消える、じゃいまのうちに行っておかなくちゃ! というのは人間に共通の気持ちだろうけど、その慌てる気持ちの中には、低層のホテルが消えることを惜しむ心もあると思う。

いまのホテルは効率優先、軒並み高層化している。仰ぎ見ないとホテルのてっぺんが目にはいらない!都心のホテルで十階ほどで背の低い、エントランスからロビーへまっすぐ足ではいって、ゆったり椅子でくつろげるところは、こことオークラぐらいだ。

オークラとキャピトル東急、というより私には東京ヒルトンという昔の名のほうがピンとくるけど、この二つをくらべて眺めの点で“ヒルトン”が勝っていたのは、正面に庭が見え、池と植え込みがさっと目にはいる楽しさのため。

この頃のホテルは、足で行っても地下か、地下にひとしい薄暗い入り口からはいって、エレヴェーターやエスカレーターでメインロビーにたどりつく形が主だ。クルマだと最初から地下にはいるから、そのホテルの全容など永久に知らないままいきそうで、味気ない。色彩的には黒が多く、全体に暗い。

二〇一〇年にオープンするキャピトル東急は、高層ビルで中層にテナントを入れ、ホテルの客室は高層階で、レストランはさいわい低層にいれるそうだが、のんびりした旧ヒルトンの食事を惜しむ客は多いらしく、レストランは発表と同時に混みはじめ、コーヒーショップのオリガミは二十分待ちの行列になった。

お皿1枚分のパンケーキにアイスクリーム大のバター


私は夏から十一月なかばまで、好きだったオリガミや和食の源氏になんども足を運んだ。でも、ケヤキ(グリル)や星ヶ岡(中華)には知らん顔。この二つはとっくに改装して、昔のよさ――アメリカンで陽気な雰囲気――を失い失望していたから。消えるからといって、すべてを惜しむわけじゃない。

「十一月になったらカウントダウンで混むわよ」
親しい友達も誘い、チャンスは逃がさずに利用したのは、絵を見るのとちがって、食べるには食欲がいる、おいしく味わうには「とき」を選ばなくちゃ。

キャピトル東急クローズに、急ぎジャンボバーガーを食べた話は十月号でちょっと触れた。それから数えて十回は行ったけれど、結局、選ぶのは山とあるメニュの中の好みの品のくりかえし。当分お預けだから――と子供並みの感覚だ。

ジャンボバーガーとパーコー麺は何回食べたろう?早め早めが正解だったのは、フィッシャーマンズサンドゥィッチは、九月半ばに食べたら、その月の終わりにはメニュから消えてるじゃないか。

「お魚類はみんなメニュから消えたわ」
新しいメニュを見て、アミがつぶやいた。
仕入れを整理しはじめたのだろう。ホテルは大型船と同じで、すぐには止まれないから、減速期間がいるのだ。ここはお庭が目玉だから、いちばん庭寄りの二人用テーブルに固執した。

「まえは猫が来て、池の縁で金魚を狙ってたわね」
「いまでも猫はくるの?」
「最近はきません」
ウェイターの黒服は言った。
ホテルがクローズするのは、従業員にとって死活問題。東急にはほかのチェーンホテルがあるにしても、東京と地方ではおおちがいだ。彼も行き先はきまっていないという。

「トシの人はじき定年だから、遠くても受けて行くんですよ。数年がまんすれば東京に戻れますから」
源氏のてんぷらで、揚げながら料理人が言った。

「で、あなたは?」
「私はどうするか、まだきめてません」
源氏のてんぷらは、懐石、鉄板焼きと三つあるなかで、私の好きなところ。キャピトル東急の特徴は、和食も直営なことだ。たいていのホテルは、京都や東京の名ある料亭を入れて、和食やてんぷらの店を出させる。そこで働くのはその店の弟子たちだから、親しいホテルに話しても、彼の受け入れ場があるわけじゃない。

てんぷらはカウンターだから、ひとが来ない早い時間が勝負だ。十一時半のオープンに席を予約し数回行った。カウンターでは、揚げる手元が見える位置がおもしろい。見ていると、案外長く揚げている。お魚や野菜でちがうにしても、一分ぐらいだろうか。

「何度で揚げるの?」
「低いほうは百六十度ぐらいです」
恰幅のいい、働き盛りの年頃の職人が言った。
メニュには天丼もある。以前は気づかなかったものだ。こりゃおいしそう! とまた予約して、天丼は都合、二度食べた。源氏で三千円というのは、すごく安い。「おまかせ」で頼むと、職人は気分でいろいろサーヴィスしてくれる。この人がいい職場で腕を揮えるといいな、と思いながら、席を立った。

最後に行ったのは、カウントダウンであと一週間しかない十一月半ば過ぎ。そのときも首尾よく窓際に座って、ジャンボバーガーをミディアムレアで食べた。ジャーマンパンケーキを注文して、カウンター席に移った。オープンキッチンだから、カウンターに座ると、パンケーキを焼くところが見られる。

ヘリが五センチほどフライパン型に立ちあがった薄いパンケーキは、リンゴがタイルみたいに敷き詰められ、全体が金色に焼けている。そこにたっぷりのバターを塗ってメープルシロップをかける。ヘリの立ち上がりが謎だった。ウォッチしながら横を見ると、団塊の世代の夫婦がすわっていた。夫が懐かしげにジャンボバーガーを食べる脇で妻は、パーコー麺を前にクールだった。きっと、男には懐かしいホテルでも、女にはなじみでないのだろう。


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