No.241







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●複々線の鉄道が複線となり、終には単線となって山間をクネクネと蛇行し、どん詰まりの終着となる。さらに乗客も稀な赤字バスに揺られて小一時間…そんな山地に秋から春にかけてよく出掛けた。ポピュラーな山域の、しかし一般にはまるで知られていない秘所を“探検”するために十数年通ってきたのだ。そんな鄙な駅の駅前通り的な場所には、形通りに地味な飲食店が何軒か点在するが、儂はまず利用することがない。だが山の帰りのイッパイは一種の“儀式”として欠かせない。そこだけが今風のコンビニで缶ビールを買い、さらに地元の豆腐店で豆腐を一丁買い、ボックスシートのある電車を選んで車内で静かに…いや厳粛に“儀式”を執り行うこともある。一方“駅前通り”の他に、実は一般のハイカーの目に触れることもない小さな小便横町が二本あって、それぞれに数軒ずつの屋台もどき小店が並んでいる。互いの膝がくっ付くほどの狭いカウンター席に五〜六人が座われば満杯だ。随分明かるい時間(うち)から暖簾を出し、地元の、時間シフトがあるような職場の人がふらりと来て、静かに談笑している。偶さか儂のような他所者が紛れ込んでも厭な顔もせずに受け容れてくれる。誰かがママにそっと袋を渡たす。この季節ならたらの芽とか金漆(こしあぶら)といった(客自身が採取した)山菜の類だ。「ハイ」と小さく応えて、ママは早速天ぷらに仕立て、客の全員に振る舞う。むろん儂も(分け隔てなく)御相伴に与かる。それは何処で食するよりも美味だ。食材の提供者や手間隙掛けたママには何の実利もない。ただ狭い店の中に、和やかな暖かい空気が流れる。その空気に、儂はそこはかとなくある種の豊かさを感じるのである。

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