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「暮れからベイクド・カスタードずっと作ってないわ」私はぼやいた。「あんなにさっとできるのに」
「デザート作ってない! アップル・クランブルと、アミがアップル・コンポートやっただけね!」
そう。この二ヶ月、余裕がなかったのだ。ちょっとでも時間があったらお昼寝に倒れこみたい、本を開きたい――デザートどころじゃなかったのだ。

「こんな追いまくられるの、おじいちゃまのヘルプしてたとき以来じゃない?」アミが述懐した。
「あの頃にくらべたらお料理進歩したから、パパによろこんでいただけたのにって思うけど、あの頃はそんな暇なかったのね」私は相づちを打った。

高齢者の世話は忙しくても、多少の待ちはまあ、可能だ。いまの待ったなしの日々は――私は思い出していた――若い日に赤ちゃんを持ったとき以来じゃないかしら?
おむつが濡れる、おなかが空く、ピイピイ泣く――何はおいても最優先して小さないのちのサヴァイヴァルをはかること。無力な生命を神さまから預かったときのニンゲンの責任だ。

暮れからつづく「待ったなし」の日々は、うちのヘレン――一年半のメス猫に仔猫が四匹生まれて始まった。それまで三十年、二代のメス猫を飼っていたのに、仔猫をうまくとることができなかった。とうとう、成功! ヘレンは四匹の愛らしい仔猫のママである。

そして、私たちは時間をまるまる吸い上げられることになった。それはいま最高潮なのかもしれない。仔猫は八週間目にはいり、よく食べ、よく動き、かれらの居場所になってる私の寝室は、まるで仔馬を飼ってるみたいな、パカパカ走る音で満ちている。実際にはパタパタだけど、その速さは馬並み。イケアのプレイスマットを並べた食事の場は、いくつものお皿をとっかえひっかえ。トイレットの紙砂を入れたプラスティックの洗い桶二つは、しょっちゅう砂を入れ替える。

人手としてはアミがいるとはいっても、私は突然、赤ちゃんの世話責任者になったのだ。おまけにヘレンだって、授乳中は一日六回食事した。生まれて八週間目にはいったいまも、ママ猫は三回以上食べる。
離乳に移るまえは、むしろ食事はママキャットだけの世話ですむからラクなものだ。ヒトがやるのはネストに敷いたタオルやフリースの洗濯ぐらいで、あとはすべてママキャットまかせですんだ。

でも四週目にはいると、事態は変わる。離乳食への移行をはじめないと、仔猫はいつまでも母乳にしがみついているから毋猫が消耗する。すこしずつウィーニング(離乳)をして、餌やミルクを与えていく。トイレットはそれより前から、猫用砂を用意して、だんだん馴れるようにする。つまり、私たちに食事、ミルク、砂のしまつ――の仕事がはじまった。

いやいや、それ以外の仕事もあった。でも、これはとても楽しくて、時間はとられても、苦労じゃない。猫ウォッチングだ。仔猫と毋猫の様子は、見て見飽きない。毎日ほれぼれと眺める。仔猫は二十四時間で、できることががらりと変わる。からだも、アミいわく「ふくらし粉でできてるみたい。どんどんふくらむわ」。

デジカメで写真をとるのはもちろん、なによりもスケッチだ。PMパッドとステットラーの5B と4Bを身近に置いて、あ、いいな、というシーンや姿を描いていく。成長する仔猫、それをナースする毋猫は「いま」が勝負だから、これも待ったなし。
原稿を書く時間、マニキュアをする時間、デザートをつくる時間――みんな仔猫に食われてしまう!

冷凍野菜生かして手早く楽しい夕食


ロブションのレセピ、ジャン・ジョルュのレセピ……パトリス・ジュリアン……好きなのを選んでディナーを用意する時間がない。まるで、子育て時代みたい。そういえば、子供が小さい頃は、大鍋で野菜と肉がいちどに大量にできるポットローストや、ミートパイ、ボイルド・タン、ミートローフをしきりにつくった。一つつくると数日使える。

それをとつぜん思い出して、アミに言った。
「今日はロンドン・ブロイルにしない?」
時間がないのは同じでも、あの頃といまの違いは、肉のちがいだ。ポットローストは骨付きのチャックローストという部位を使い、ゾウリほど大きくて固い肉だから長時間蒸し煮にする。ロンドン・ブロイルはロースト用で軟らかい。タンは当時は買える値段だったけど、いまはアメリカからの輸入がないから、バカ高で使えないなど。肉にも時勢が影響する。

ラクでも、夜の食事にレトルト食品じゃ人生闇!安直な鍋料理も趣味じゃない。仔猫忙しに立ち向かうには、焼くだけですむ舌平目やステーキに答えがある。
これも年齢があがったための投資額の違いだ。うれしいことに、フローズンフードの質があがって多種多様、うまく使うとタイム&エネルギーセイヴァーになる。冷凍のフレンチフライやミックスド・ビーンズは最近の気入りだ。

「お母さんも働きやすくなったわね」私は言った。
「ママの時代はまだ、人手があったからお手伝いを頼めたけど、いまはシッター程度じゃない」アミが夫婦とも国家公務員の友達を例にした。
「忙しいから、『食材宅配』を使ってるわ。内容が多少気になっても割り切ってるって」
料理に手間ひまかけられない家庭が、子育て以外にも多くなったのが、昔とのちがいだ。夫婦二人暮らしの友達の家庭では、妻の母親が高齢で寝付き、家庭介護をするために、毎日一時間かけて通っていた。ヘルパーでは用がたりないのが、日本の制度である。さいわい夫はマメで料理上手だったからしのげたけれど。

最近はあるデパートでよく見る女性の店員が、
「二月からお目にかかれません。早期退職をしますので」
「まあ、残念。おうちの事情?」
「夫の病気で、うちで料理や世話をしなければならなくて」
もしこれが逆だったら、夫は仕事をやめて妻の世話をするのかな、と私は思った。


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