No.242






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●前号の、山里の呑み屋ばなしの続きである。地元の御常連は焼酎の壜を前に、しかし殆ど呑む気配もなく、肴一品を前にしたまま、只管言葉の投げ合いを愉しんでいる。格別注文したい品書きが見当らないので、儂も大抵は豆腐ばかりだ。二軒ある豆腐店のうちの「どっちの…」と人差し指で尋ねたりする。酒も気の利いた銘柄があるわけじゃない。固よりそんな注文をつける店ではない。呑み食いせず客回転も少ない店がどうやって成り立つのか、(余計なお世話に違いないが)不思議に思う。よく立ち寄った一軒には、往々儂が定番の豆腐が無かったりする。そんな折には「草関係を適当にね…」と予め頼んでおく。山葵の葉の浸し物だの淡竹(下拵えなしでササッと調理できる筍)の味噌炒めだのが、忘れた頃にひょいと出てくる。山賊だからその程度で充分である。この店のママは「自分の身辺で採れるもの以外は扱わない」という厳然たる主義主張を(私かに)懐いているらしい。「天晴れ」と思う。もちろんプロの料理人というわけでもないから、すべてが家庭の味の延長…というか家庭の味そのものだ。それで充分である。ある日「こんなもの食べる…」と抓んで見せたのが、すぐそこの流れで捕れた一尾の鮎。儂は「ノー」とも言えずに焼いて貰った。串も打たずに網焼きしたらしいそれはやはりNGだった。以前、北の山々を歩いた時代にも、温泉宿で御当地自慢の鮎をよく御馳になったが、いずれも焼き具合に納得がいかなかった。これが専門とかこれを得意とするそれのなりのレベルの割烹でないとダメなのかな…と首を傾げたりした。儂自身(惣菜の)魚を焼くのがどうも苦手で、何度試みても「佳し」とすることがない。

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