羽田澄子さんのドキュメンタリー映画、『終わりよければすべてよし』の試写を三月に見た。「安心して老いるために」をテーマに映画をつくってきた羽田さんが、今回は安心して死を迎えられるようにと「ターミナルケア」を取り上げた。日本と外国のシステムがよくわかる。六月に岩波ホールで公開される。
老人が孤立せず、親切な医師やナースやヘルパーに世話をされ、最後まで安心して暮らし、食事もちゃんとできるように、知恵と技術が集められ、施設がつくられている。日本では、家で死を迎える人はわずか十三%で、八割が病院だが、ケアシステムをつくれば、脱病院が可能になる。自宅のような雰囲気の施設が、シニアを最後まで快適に守ってくれる。
つよまる少子社会と、年金先細りが予想される日本では、シニアはみな将来が不安だ。私は国家や自治体ぐるみで充分な予算のある外国の例を、うらやましく思って見た。日本は意志の強い個人の善意や連帯で、なんとか運営しているのが実情のようだ。
考え方の基本がちがうのだ。外国は自分たちみなの問題、そして高齢者ケアが経済に寄与するという新しい視点なのに対して、日本は高齢者は負担増、経済的重荷とネガティヴにとらえていることだ。
印象的だったのは、スゥェーデンやオーストラリアの老人施設が、陽気で個人を重んじていること。なによりもシニアが、おしゃれで、はつらつとしているのがすてきだ。赤いジャケット、はなやかなプリント、イヤリングやネックレース。女性だけでない、男性も明るいTシャツやチノパンツ。個室のカーテンはきれいなプリントで、額や写真立てが飾られ、ひろびろしている。食堂はレストラン風のセッティングで、花や植木が方々にあって、楽しそうだ。残念だが日本では、長いテーブルに花もない社員食堂風のところで、ひたすら食べるだけだ。美的なことまでは手がまわらないのが、実情なのだろう。食事に花やリネン、四人のテーブル、美しい陶器などは、日本ではまだ先の話だ。
和食は食器が一人に五つも六つもいるのがネックだ。洋風料理なら、食器は大皿ひとつと、サラダかスープのボウルぐらいですむから、いい品をそろえやすい。料理の問題は、こういう点からも考えなおしてよさそうだ。
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