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アジのひらきは、東京人の好きなもののひとつ。なかでも鎌倉、由比ケ浜の鈴伝のはおいしい。宅配便で注文するのは億劫だから、湘南人からいただくと大感激だ。

「十枚もあるの」宅配便を開けてアミが言った。
朝食が終わったばかり。まだコーヒーも熱い。
「すぐ焼かない? 新鮮なうちが勝負よ」
テフロンのフライパンにオリーヴオイルを薄くひいて、ひらきを焼いた。いちどひっくり返して、皮をぱりっとさせる。お皿につけると、オス猫のリュリュが食卓にのってきた。
「おいピー!」私はひらきを口にはこぶのに忙しい。熱いうちに食べなくちゃ。
「いい匂い。早くチョーダイ」待ちかねてリュリュが手をあげて、アミの右肩をトントンたたく。
ニンゲンにおいしいものは、猫にもおいしい。ましてお魚だ。ニコニコ顔で食べる人間の脇で、アミに分けてもらって、リュリュもハグハグ。 

猫にも好みがいろいろで、リュリュは魚好き、生でも火を通したのでも、大好きだ。メス猫のヘレンはナマ肉派。肉大好きだけれど、火を通したローストビーフはノー。リュリュはこれも好きだから、猫の食の好みには、けっこう個性がある。

さて、アジのひらきをみなさんはどう焼きますか? ガス台のグリル、魚用の焼き網……。うちでは魚用の焼き網は、煙モウモウになるのがイヤで処分したから、邪道と呆れられても、テフロンのフライパンとオリーヴオイルだ。塩焼きにするお魚は、みなこの方法でやる。オリーヴオイルはたべものには万能だから、きれいに焼けて、しかも味はさらによくなる、と私は思っている。匂いをつけたくないときには、ピーナッツオイルもいい。

アジのひらきを前に、さてとアタマをひねった。ただ焼く以外の食べ方はないかしら? イタリア料理だ! 温暖な地中海に面したイタリア。日本の近海魚は、向こうにもある。
「あれやってみる!」私はアミに宣言して、はりきってItarian Cookingを開いた。おいしそうなカラー写真に前から目を惹かれていた。イワシとトマトとガーリックとチーズ二種類で焼くオーヴン料理だ。

アジのひらきをテフロンフライパンでさっと炙って、ていねいに骨をはずした。皮は、イガイガのゼイゴだけとって、あとは残す。キャセロールにアジを並べ、その上にパルメザンチーズとリコッタチーズたっぷり、パセリも二枝分、ガーリックのチョップのミックスを載せ、さらにつぶしたガーリックとトマトのチョップをオリーヴオイルでいためたので覆って、オーヴンで三十分ほど焼く。
つくりかけを見て、アミが叫んだ。
「アジとチーズ! おそろしい組み合わせ!」
このすごいコンビネーションの焼きたてはちょっとワイルドで、香ばしく何度もお代わりするおいしさ。アジとオリーヴオイル、そしてトマトはよく合うことがわかった。たしかにどれも南の輝く太陽のもと、海と陸で育つのだから、親類同士の食べ物にちがいない。

カードは猫のエサの空き箱に入れて整理


食も情報時代だ。レセピをどう発見して自分のものにするかが、家庭の食卓をおいしく、美しく、楽しくする。行ったレストランで教わるのもいいし、CS放送のフーディースも役立つ、でも基本は本だ。ワインの組み合わせや、チーズの知識も大事な情報。参考にする本の量は、辞書の数どころではない。キッチンから溢れて、食堂の床も占領している。

問題は、料理の素材をまえに、どのレセピを選ぶかだ。たしかに覚えがあるけど、レセピが見つからない! のがしばしばだ。

私はそれを解決するのに、使いたいレセピをカードにして箱に分類してストックしている。B6のカードに横書き、出所やページも忘れずに入れる。これがないと後でフォローできないから。カード化がいいのは、一目で、つくる順番や必要な素材がわかること。料理をつくりながら本のページを目で追うのは、たいへんだ。自分で書けば、用語の記号化もできる。カードは次第に増えて、ボックスはいま六つ。肉、魚、野菜、スープ、パスタ、デザートなど。
便利だが、注意しないと大事なことを書き落とすこともある。ナットメッグを入れるのを落したり、クリームを一カップ――を抜かすと、味が落ちる。

「これ、おいしいね!」とパーティでほめられたコルドン・ブルゥのサーモンとポテトとリークのグラタンに、クリームを入れ忘れたのは、カード化のとき、うっかり書かずに飛ばしたから。三度めにやっと気づいて、ちゃんとやったら、お客も私もうなるほど、おいしくなった。

オリーヴオイルに話を戻すと、お味噌もオリーヴオイルでおいしくなる。「招提味噌」という古式床しいお味噌がある。唐招提寺が五月に毎年やる「うちわまき法要」、これに使ううちわに絵や字を揮毫すると、お礼に招提味噌がくる。原料は瓜、なす、しょうが、しそ、米、麦、大豆、塩、砂糖などと記してあり、野菜は飴色になっていて、姿も味もよい。一年の楽しみの品だ。
あるとき唐招提寺に行き、売店にあった同じ形式のお味噌を買ったら、お礼に送ってくるものとぜんぜんちがうのにびっくり。やっぱりお寺からのは、特別なのだと知った。

欲をいうと、少々辛い。女将さん健在の頃、丸梅に分けたらとてもよろこばれ、
「あれは茗荷をきざんでまぜておくと、とてもおいしくなりますよ」と教えられた。
以来、うちではそうやっているのだけれど、最近はこれに新しいモノが加わった。使う分だけ小分けにして、エクストラヴァージン・オリーヴオイルを少しまぜておくのだ。お味噌の塩がすこしやわらぐ。

オリーヴオイルの力はすごいと、味をしめた。塩ウニは、いまはなかなか入手しにくい貴重品だが、塩で保存されてるから当然、塩がきつい。使う分に、軽くオイルをブレンドしておくと塩味もやわらぎ、固さがオイルで軟らかくなって、トーストに塗りやすくなる。お酒好きは塩ウニはそのまま酒の肴だけれど、私にはカナッペや朝食の友である。


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