23







海塩造りのマエストロ・小渡さんの塩のお陰で粟国は世界に名が知られるようになりました。そのご尽力に敬意を込めまして、ふるさと粟国と塩にまつわる話から始めようと思います。
粟国は、那覇の北西六十キロに浮かぶ絶海の孤島、見るからに何もない島です。島には蘇鉄が群生し、それこそは飢饉時の貴重な食物です。

そこは、母の膝枕であり、母の面影であり、母に手を引かれし思い出の地です。なにもないが居心地がよく、心安らぐ場所です。私に勇気と優しさをはぐくむ癒しの場、そこがふるさと粟国です。
塩はすべての調理の土台、屋台骨です。人類誕生のメカニズムも海塩が関係いたします。食はいのちのもと。人類と共にある調理の基は、太古から塩でした。「塩梅」と言う言葉も、梅の実の酸味と塩の鹹(かん)味(塩辛い味)といった身近な味が調味の基本となり、これが料理の味加減を表現する言葉にまで高められました。

「手塩」とは、好みに応じて味を調えるために、めいめいの食膳に添えた少量の塩のことで、古くは膳の不浄を払うためのものともいわれております。
「手塩に掛ける」とは、手塩を用いることです。自分の手で直に取って自由に加減するところから、自分の手で直接世話して大切に育てることの意になりました。
琉球王朝最後の王尚泰の四男、尚順男爵は博覧強記で当代随一の美食家として知られておりました。その『松山王子尚順遺稿』によりましても、「第一料理の要訣は塩の味を使うことであるのに、近頃の琉球料理を作る人は全然塩を用いることを知らない。」とあります。料理の良し悪しは塩で決まるのです。

茹だるような暑さが続く沖縄の夏、汗をかき過ぎるとミネラルとタンパク質が不足するからでしょう、塩味の物が無性に欲しくなります。スクグァーの登場です。旧暦六月朔か十五日の大潮の頃、アイゴは産卵孵化します。ゴマアイゴとはすずき目アイゴ属あいご科のことをいいます。その生まれたての食物も何も食べていないアイゴの稚魚(スクと言います)を塩漬けにいたします。それがスクガラスです。角豆腐にそれを添えて頂きます。沖縄の夏の暑さを吹き飛ばす、定番メニューです。それを塩味治(シューミーノーシ)といいます。それを頂くと、元気になるから不思議です。

アメリカ軍の上陸後、我が家を浜部落の方に提供し世話をしたことがあります。お礼にと、クサハン(スクが草を食べて五〜六センチほどに成長したアイゴの幼魚)の味噌漬を何度も頂きました。そのおいしかったこと。少年の時の思い出です。
次号では塩煮魚、塩煮(マースニー)の話をいたしましょう。


.
.

Copyright (C) 2002-2007 idea.co. All rights reserved.