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つよい夏の太陽に、高原の自家用野菜畑はどんどん実る。会うひと、会うひと、「うちで今朝とれた野菜よ」ずしんと袋を渡される。

「わー、うれしい。野菜好きだから何より」
言ってるうちに、冷蔵庫のなかに野菜が溜まる。フレッシュなうちに食べなくちゃ。クロネコの冷蔵便でひとにわけても、トウモロコシがくる、キャベツがつづく。ポテト、レタス、ナス、ピーマン、モロッコいんげん、ミニトマト。手づくりジャムやパンも。八月の軽井沢は野菜料理に明け暮れた。

食物の生命力と鮮度は、それのだす放射線の波長で測ることができ、野菜の持つエネルギーは、穫ったばかりのときが最高で時間の経過とともに減る、野菜は生で食べるときが放射がもっとも高いと「植物の神秘生活」(トンプキンズ&バード)にある。単位はオングストローム。スーパーで買う野菜と穫れ立てでは、約四十八時間の差があるから、味も健康へのプラスも、おおきくちがう。

「キュウリばっかりで困ったわ」友達がぼやいた。
「サラダも飽きるし、お酢のものじゃ続かないし」
「私、そういうとき、スープかムースにするの」
「キュウリがスープになるの? ムースは?」
「ムースはクリームチーズがいるからここじゃ無理。でもスープはバミックスさえあれば簡単よ」
彼女に、キュウリは六、七本をいちどに皮をむき、ダイスカットしてタマネギ半個のチョップといため、チキンブイヨンでやわらかく煮たら、バミックスで砕いてなめらかにし、クリームをいれればあとは冷やすだけ、と教えた。
「ぜんぶ生かせた! しかも何日も使えた! 助かった!」彼女から「!」だらけの電話がきた。

野菜の大波には理由もある。旧軽の行きつけのお店は毎夏、野菜をくれるから、こちらも東京からおみやげを持っていく。お客だからと〈タダもらい〉で終わりたくない。軽井沢の小売店は、巨大スーパーに押されて苦戦してるから、ハロー、元気でね、とはげましたくもある。横浜の崎陽軒のしゅうまいのチルドパックは、忙しい商店のおやつになるし、室温で保存できるから、歓迎される。
お野菜の山をまえに、アタマをひねった。
「ズッキーニは早く使わないと、いたむわねー」
「アンディ・ルーニイの本でも、ズッキーニの氾濫に悩んでたじゃない? やたらもらうのよ」
「あった! これがいいわ」
見つけたのは、ズッキーニのファルシ。リセで料理の授業用に使う本、元は修道院のレセピだったのを編集したもの。縦に半分に切ったズッキーニを茹でて、中身をくり抜き、えぐった中身にタマネギ、パセリ、バタご飯をミックスして凹みに詰め、パン粉とオリーヴオイルをふってオーヴンで焼く。

キャベツは巨大で悩むけれど、ピーマンと一緒に生かせばコールスロウというすてきな変身をする。これはキャベツをたくさん使い、作り置きもきくサラダだ。サヴォイキャベツがベストだけれど、ともかく、葉を一枚づつはがし真ん中の芯はとって、ごく細かくきざみ、冷たい氷水に三十分浸けてシャキッとさせる。水を切ったら、ほかの野菜のチョップしたのとミックス。彩りと歯ごたえが大事だから、紫キャベツや赤タマネギがほしい。赤やオレンジのピーマン(いまはパプリカと呼ぶほうが多い)、ニンジンなどでカラフルに。

コールスロウはいろんな作り方あるけれど、これはナショナルスーパーの野菜売り場のロジャから教わった。彼はスゥエーデン人の父とインド人の母を持つ料理好きの男。

野菜の贈りものは 料理のチエくらべ


野菜が友情のあかしになるのは、実は北海道で経験していた。道東の小清水町の一軒家を借りて、夏を過ごした一九七〇年代の四、五年間のこと。
「持ってくよ」に「待ってるわ」とこたえると、段ボールいっぱいのポテトや、一升瓶数本の牛乳が届いてあわてた。友達引き連れての民族大移動だったから、けっこう量をこなしたけれど、この暮しで私は「東京はぜいたく品をちょっぴり」がしゃれてるけど、「いなかは自然物をたっぷり」が約束ごとであるのを覚えた。

小清水と軽井沢のちがいは、その間に三十年が流れ、日本中の暮しが都市化し、家族もミニ化したこと。軽井沢でも、野菜の挨拶は大量ではなく、いろいろミックスして適量を渡されるのが、時の流れを感じさせた。それでも、うちの中への流入量は多いから、生かして使うのに、よろこびながら慌てるわけだ。

さらに基本的な変化は、グローバル化と、情報の膨大さとスピードだ。料理法ひとつをとっても、いまは世界中のレセピにアクセスできる。CS放送でフランス、イギリス、アメリカと好みのまま。素材では、野菜もニクもシーフードも、世界中からはいってくる。野菜の料理法ひとつに、その変化が現れる。

野菜を調理しながら、私はアミに言った。
「小清水の頃は単純だったわね。お料理なんて、ベーコンと塩と胡椒、バターとオイルで足りたもの」
「いまはハーブ何種類も、オリーヴオイルも、塩もみんな名前付き。〈ハドックさん〉が驚くわ」
コミカルな小説の主人公ハドックさんはアメリカ人。家族連れでパリ旅行(『ハドック夫妻のパリ見物』)、レストランで水を頼むと、種類をウェイターに訊かれる。「エヴィアン? ヴィシー?ペリエ?」
「水に名前があるのか!」ハドックさんは驚いた。
いまは水どころじゃない。うちの〈名前付き〉愛用品は「ヌニュス・ド・プラド」というスペインのエクストラ・ヴァージン・オリーヴオイル。塩は「粟国の塩」のほかに、久しぶりに出会ったゲランドの「フルール・ド・セル」(塩の花)、フランスの手で集める古典的な海の塩。これを生野菜に食べるとき手でふりかける。

あなたも好みの塩やオイルがあるはず。それを野菜を生かして食べる際の味方に使おう。自然のままの野菜は、良質の自然の添え物でパワーアップする。猫のヒゲが猫のパワーの元のように。
※「塩の華」と書く人もいるが、私は文字通りの「花」を使うのが好き。 

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