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「たいへん! 今度はヤスコひとりだから、方々私たちでちゃんと案内しなくちゃ」
「十月に日本に行くわ」とニューヨークからメイルがきたのは春だった。ヤスコの気にいるホテルを予約し、希望をメイルで訊くと、美術館、それもモダンアート(モダンは近代で、現代はコンテンポラリー)、現代美術を見たい。困った! 現代には弱い。急いでデザイナーの友人の知恵を借りた。

そして今回は娘のアレッサンドラなしの一人旅。外国での独りは不便な上、不案内だとおいしい店で料理を楽しむこともむずかしい。いい店には予約がいる。アミとふたり、苦心したのは、彼女との四日間、案内する場所とレストラン、そしてファミリー・レユニオンの設定だった。

四年にいちどオリンピックみたいにやってくる彼女も、次は八十歳を越し、来られないかもしれない。東京の親類だって高齢化している。できるだけアテンドしたい、子供のとき仲良しだったいとこ。こっちがNY市に行ったときは、とてもよくしてくれた。元気でも、年齢はシニア。二十歳そこそこで結婚しアメリカ人になって六十年近い。日本語は話せても、文字の読みはおぼつかない。

料理屋は前回とちがう店にしなければ。前は浅草の〈美家古寿司〉。お蕎麦は神楽坂の〈志ま平〉だった。考えた末、最初のお昼はうなぎの白焼きと蒲焼きのかさね重。次のお昼は上海料理でフカヒレ姿煮やとフカヒレのあんかけのお焦げご飯。最後の夜は〈開新堂〉でフランス料理。バースデイとクリスマスが一度に来たみたい!

ちょうど高島屋では京都展をやっていた。〈茨木屋〉(京かまぼこ)、〈津乃弥〉(魚)、〈七味家〉など馴染みの店が出ている。あちこちで「お味見どうぞ」とさしだれる。ヤスコはよろこんで飛び歩いた。「お菓子はお味見がなかったわ」とちょっとがっかり。七味屋の山椒は、お昼に蒲焼きにかけておいしさを知ってお土産に二つ買った。「重いものはダメなの」
銀座に廻ったら、土曜の午後は歩行者天国で、彼女はそれにも驚いた。アメリカ人が日本でカルチャーショックを受ける代表は、歩行者天国と、トイレットの洗浄用シャワーだと知った。
〈家でのディナー〉が第一のウェルカムのしるしだから、その夕方はうちに招待。まずマティーニだ。「東京でマティーニが飲める?」と彼女はくる前から騒いでいた。「私は夕方はマティーニなの」

アミと私はワイン党。カクテルの道具もお酒もそろっているけどマティーニは作らない。ハードリカーで飲むのはジントニックやカンパリソーダだ。
「私がつくるわ」うちに着くとすぐ、ヤスコがシェイカーに氷を入れた。「いつもお料理はマティーニ飲みながらやるのよ」。ジンが四、ヴェルモットが一の割合、強いお酒はヘルシーじゃないな。グリーンオリーヴは出してあったが「楊枝は?」と言われてアミはあわてた。
「これ」と〈さるや〉の手削りの本物の黒もじを出したら「きれいねー」と彼女は目を見張った。

ディナーは、前日に準備できるビーフストロガノフとデザートのベイクド・カスタードを私、オウドゥヴルはアミ。日本風にキュウリと穴子のきざみも。京都展の津乃弥の穴子が生きた。

並ぶたくさん、マドひとつ


東京で困るのは、クレープ種のようにだらだら広がった街に、美術館が豆を撒いたように散らばってることだ。江戸東京博物館(ヤスコはよろこんだ)と現代美術館(準備中で休み)は隅田川の向こうだから、ちょっとした遠足だ。上野の東博と観光スポットの浅草も、山の手からは離れ小島で、江戸博とつなげて行けば、隅田川の橋を越すだけだからワンセットにできる。

コンテンポラリーをやっていた国立近代美術館と工芸館は、皇居脇の北の丸公園でラクだが、小さいから小一時間で見終わってしまう。展示物もそこそこで迫力に欠け、見た満足感が薄い。

ニューヨークもパリも、ミュージアムは行きやすい場所に、くっついて存在する。NY市ならメトロポリタン、グッゲンハイム、フリック、ホイットニーなど同じエリアだ。日本で案内しやすく、街そのものに文化の匂いがするのは京都だけ。碁盤の目のような街路、サイズもこぢんまり。欧米の街のように歩いて楽しめる。東京は星雲のように巨大で、混沌の巷。移動だけで疲れてしまう。

オークラでファミリー・レユニオンのランチのあと、目黒の庭園美術館へ。旧朝香宮邸の公開最後の日で混んでいた。私が窓口の列に並んでいると、クルマで待っているヤスコがアミに言った。
「なぜ混んでるのに、ほかの窓を開けないの?」
窓口は三つあるのに、開いてるのは一つだけ。日本人は入場券で並ぶのに慣れっこで気づかないけれど、切符を売る都の職員は「混雑に見合うサーヴィス精神がない」と外国人に指摘されたわけだ。

日本でイヤなのは、どこの美術館も官僚的に「シニアの証明を見せてくれ」と要求すること。その日もヤスコのパスポートを見せた。外国では「シニア」と言うだけで割引か、フリーパスだ。日本は市民は悪でごまかす、官は正しい、と決め込んでいるみたい。シニア割引みたいな小さなところに、市民をウソつき扱いする官の姿勢が見えて、がっかりする。

四谷見附から半蔵門へ新宿通りを走っていると、ヤスコが訊いた。「お店ばっかりね。普通の家はどこにあるの?」
言われてあっと気づいた。マンハッタン島はアップタウン(五九丁目以北)、ダウンタウン(一四丁目以南)、ミドタウン(両者の間)と整然とわかれていて、フィフスやマディソンは堂々とした店並びだが、だからといって店ばかりの街並みではないことを思い出した。

ダウンタウンは商業ビルの合間にアパートメント(日本でいうマンション)のビルが建ち並ぶし、セントラルパーク周辺のアップタウンは良好な住空間で、アパートメントがホテルや美術館と肩を並べている。そういう間に、本屋、食料品店、酒屋、花屋、みんな共存していた。マンハッタンは人間臭い街で、銀座や住宅街から個人商店が消える東京の街より好もしい。

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