No.251









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●かつて、其々の売り声を発しながら、各種の振り売りが路地路地を巡っていた。儂もこんな歳だから、朧気ながらその幾つかを記憶している。暇っ潰しに売り声の録音でも聴こうと思い、ある日風俗資料館を訪ねたが、生憎と臨時の休館でその目的は果たせなかった。ン十年前に、例の喇叭(もう知る人は少ないかな)を鳴らしながら、棒手振り(ウソです…自転車でした)でやって来る豆腐売りがいた。儂が「今日のは旨い」とか「ちょっとなあ…」などと何気なく呟くのを、うちの上さんがそのまま豆腐売りに伝えていたらしい。やがて「今日は無いよ」などと云って(他の人には売っているのに)売ってくれなかったり、偶さか留守にすると、ドアの前に(自信作を)一丁置いていったりすることもあったらしい。デジタル化社会にはイマイチ馴染めない儂は、あれはあれでいい時代だったな…と、今は思う。今も軽トラでやって来る石焼き芋や物干し竿売りは、そんな振り売りの名残りなのだろうか。「ナット・ナットー」と流す軽トラを見掛けることもある。大スーパーの開店を素見しに行ったら、「うちは移動販売に拘わってます」と納豆売場に立つ人が云った。まさかあの軽トラの納豆ではあるまい…と儂は聞き流した。実はそれがそれだったのだ。わが町のIの付くデパートや♪の付くスーパーで売るその高級(?)納豆が、原料の他に売り方にどう拘わるのかを知りたくなり、閑人の儂はその製造販売所を訪ねた。応対に出た女性は、蜜柑を「どうぞ」と一つ差し出した。二言三言交わすうちに、この納豆屋さんが“振り売り”に拘わる理由が判った。それは、買って食べる人の体温みたいなものをつねに直接感じていたいため…なのだろう。

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