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街でばったり友達に出逢った。クリスマスまえのあわただしい立ち話に、彼女が言った。
「ミシュランガイド東京買った?」
「まさか。ちょっと来たフランス人より、東京の店はこっちのほうが詳しいわ。ひいきの店はきまっているし。変えたいなんて思わない」
「ほんと! 私も買わなかった。二千三百円なんて高いのに、殺到する日本人てフシギね。同業者が買ったって、十二万部にはならないもの」と笑った。
「好奇心かしら? 格付けを気にするなんて、自分の感覚に自信がないのね」
ミシュランガイド東京が、十一月末出版されると、あっというまに初版売り切れというフィーヴァー。フランス人は、日本てちょろいな、してやったり!とニンマリだろう。
聞くと、載った店は電話がひきもきらず、商売ができないと悲鳴をあげ、かしこい店は掲載を断った。「肝心の商売がおろそかになる、お客さまに迷惑になる」と。これがほんものの考え方だ。

ヨーロッパやアメリカのレストランなら、ふだんから目がとどくから、ミシュランもいい。でも極東の日本、いきなり来て、日本人の案内役に頼ったガイドブック。以前のような覆面調査員でなく、それとわかる調査では、意味は激減だ。
ガイドブックなら、大衆の意見をもとに編集して、味、デコ、値段の三点評価を載せるザガットのほうが幅がひろく、役立つように思う。
そもそも、あなたは自分のひいきの店があるはず。いい店は自分の目と舌で見つけるのだもの。私も、フレンチは銀座と麹町に一軒ずつ、お寿司なら銀座と浅草、お蕎麦なら… ときまっている。京都も同様。そして店の浮気はしない。

フランス人は「デザイナーのロゴ入りバッグやシャツをよろこんで買うのは日本人」と笑う。もう、それを卒業しよう。自分の判断を信じよう。私の考えは私のもの、他人にきめてもらうのはイヤ。単純なことだが、これが民主主義のもと。個人主義を日本は誤解しているが、個人が確立しているから、自由があり、権威の独走をチェックできる。寄らば大樹の陰というライフスタイルは、危ない。
こんなことがあった。軽井沢で夏、姉が東京の知人に暑中見舞いを出さなくちゃ、何がいい? と言う。
「デリカテッセンの生ハム、冷蔵で送ったら?」
「心配だわ。生ものを、この暑さに?」
「店で真空パックにすれば。私はそれで送ったわ」
「小さな店の真空パック? 大丈夫? 大会社のなら信用できるけど」姉は疑わしげな声を出した。
「大会社のほうが心配じゃない、何してるかわからないもの。小さいところは、主人がちゃんとしてれば安心だわ」
姉はしぶしぶ、そこの店の品を送ったけれど、私はこれが世間の考え方のスタンダードかなと思った。というのは、何か不祥事が起きると、新聞は必ず「大企業だから信用していたのに」という巷の声を載せる。でもそれは逆だと思いませんか。

大きいから安心というのは、錯覚だ。大きいことは、経営者がしっかりしていても細部への監督が行き届かなくなるし、お客のニーズのくみ上げも、おろそかになりやすい。大きいほど要注意が、食べ物の分野では常識だ。おいしいものは手作りが原則だから、大量にはつくれない。
小さなところは、主人の目が行き届く。良心的なお店は、支店をつくらない主義のところも多い。「支店を出したら目が届かなくなる」「質の保持と、量の確保ができない」が理由。私が愛用するのはそういうところだ。




おいしいお店と何十年
うちの近くにもいいお店がある。パンのルヴァンと和菓子の岬屋がそれ。ルヴァンは自家製酵母で発酵させ、国産小麦を使うパン屋。全粒粉を混ぜたパンは非常においしい。岬屋はご夫婦で、小豆を煮て餡から自分の店でつくる丁寧な上菓子の店。これはいま稀なこと。茶道のお茶会にも使われる上品なお菓子だ。行きつけで親しくなれば、お早うを交わし、買い物が楽しくなる。お店は、人でなりたつな、といつも思う。

料理屋は、主人の目配りがことに大事だ。銀座の交詢社ビルに近い、よし田というお蕎麦屋。ここは湯豆腐やご飯ものもあり、安くておいしく、サーヴィスもすばやい。私は八百五十円の玉子丼が好き。
「銀座でこの値段!」初めて行ったとたん感激した。キラキラしいところがなく、主人が立って、店内を見回しているのもすばらしい。店員は自然、きびきびする。レジを打つのもご主人。

さらにうれしいのは、お店の入り口に黒ネコが段ボール箱の家を構えていて、冬は温風で温めてもらい、しあわせに店番をしていることだ。
雷門にある並木の薮も、味はもちろんだが、同じ理由で好き。店を見渡せる帳場にご主人が座り、店員の気くばりもよく、お客がうまく間をあけて座れるように、混んでいても、ソツなく案内する手際が見事だ。「オークラよりいいわね、この手際」私はアミにささやいた。ウェイターが無精して、お客を詰めて座らせたがるから。

昨日は、広尾の商店街にクルマを乗り入れた。駐車監視員の目をくぐって、たまやというおもちゃやにはいって、ネコのクリスマスにピンポンボールを一ダース買った。
「この前の黄色いのは、もう作ってないの」店主が残念がり「紙風船はどうかな」と指さした。「いまどき紙風船! すごいわ」これもネコのプレゼントに。
すぐそばに、新しく建て直したフロインドリーブが山小屋風たたずまいを見せていた。ここはオシドリ夫婦のパンとケーキのお店で、三十年以上のつきあい。双方でトシを重ねた。ウォルナッツリングは変わらないおいしさ。ミートパイとアーモンドパイに、シュークリームとエクレアを買った。ホイップド・クリームでなく、カスタード・クリームなのがうれしい。

こういう小さな店々こそ、信用できるお店、街の宝なのだ。ブランドや格付けに惑わされず、私たちは自分の住む町で、そういう店を発見し、大事にもりたてていかなければ。


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