おかあさんたちが悲鳴をあげている。
「中学になるとお弁当持ってかなくちゃ!」
「冷凍が使えないから、おかずがたいへん」
「なぜ学校って、カフェテリアをつくってくれないの? 売店のパンやお菓子程度じゃまにあわない」
アミの友達も、小中学生の母親がいるから、こんな話はしょっちゅう耳にはいってくる。
私立中学のなかには、すてきな食堂があって、日替わりでランチを食べられるところもある。のぞいてみたら、小さな黒板にその日のメニュが書いてあって、街のビストロみたい。安いし、ヴァラエティに富んでいてヘルシーだ。こんなところに子供が通っていれば、子供はハッピー、親はラクだろう。
外国の学校は、お弁当でなく、学校のカフェテリアで食べるのが普通らしく、中身は栄養的にも味の上でもちゃんとしてるから、日本の学校は先進国の常識から遅れているわけだ。育ち盛りの子供は、小さな箱に詰めるお弁当では、充分な量と、バランスのいい栄養を取れない。
小学校の給食の費用は、私学だと月一万円はするらしく、二人も子供がいれば親はフーフーだけれど、これで万事解決するなら、やっぱりありがたい。それだけに中学になってお弁当の必要が出てくると、母親はあわてる。職業のある母親はいっそうだ。
私も子供が中学になると、お弁当で苦労したっけ。夕食のコロッケやハンバーグを余分につくってお弁当にいれる、困るときには缶詰のウィンナソーセージを開けるなど。たまに「ダンダン」もやった。おかかと海苔を段々にご飯の間にはさむ、昔ながらのお弁当だ。野菜をどう入れるかに苦心した。
親は自分が子供のころ食べておいしかったものを覚えていて、それと同じにすれば、子供もよろこぶと思うのだが、これが意外とひとり合点だった。いまでもアミがブーブーいうのが、
「ママったら忙しくて、手抜きの炒めたハムをご飯の上にベロンと載せたでしょ、ハムにご飯粒がくっついていて、あれキライだった」ところが私は、
「あら、私は子供のとき、とてもおいしいと思って食べたわ」となってしまう。愛想もなにもない、まん丸いピンクのハムのバター炒めを、私は気に入っていたのだ。
「ママの頃は戦後でモノがなかったから、それでハッピーだったのよ」
「でもあなたのサンドゥィッチはツナ、卵とマヨネーズ、ハムやチーズ、ピーナッツバターなんかでおいしかったでしょ」私は反撃する。
もっとも、たしかに仕事に追われていたから、手抜きもした。運動会のとき困って、ケンタッキーフライドチキンを箱ごと持たせたのは、かなり大胆だった。まだ日本でオープンしたばかりだったから、先生も知らなくて「何ですか?」と訊かれ、説明したら、なぜか叱られずにすんだと彼女は笑う。
「缶詰のラヴィオリを自分であっためて、お弁当に持ってったこともあるわ」アメリカの缶詰だ。 |