No.256






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●山食の買い出しで始まるスーパーやデパ地下通いが嵩じて、家酒の摘まみを試行するなど、儂の飯事遊びが漸次エスカレートして行った。得意のメニューは「冷奴」と「生玉子」である。豆腐は包丁の入れ方や器選びにいつも頭を悩ます。気分で選んだ器に得心が行かず、器を替え盛り付け直すこともある。その点鶏卵は割りほぐすだけで迷いは生じない。

▲子供の頃、家族の一部に白黒縞の鶏が五〜六羽いた。日中は鶏舎の扉を開けて庭での放し飼いだ。蚯蚓(みみず)をつつき、はたまた家の屋根に飛び上がり(翔ぶのだ!)元気に遊んだ。産卵は必ず鶏舎に戻り、片隅の所定の場に産み落とした。一方、同様に放し飼いの柴犬がいて、これが大の卵好きだった。鶏の留守にこっそり忍び込み、卵を一つだけ盗み食う。牙を立てた小さな穴が二つ残るだけで、殻を崩さず中を空っぽにする。どうやって食うのか、いくら考えても判らない。悪い事…と自覚しているらしく、腰を低くしてそっと鶏舎から出てくる。そこを人に見られると、首を竦めて「スマン」という風に苦笑するのが可笑しかった。玉子のことを書き始めたら、思い懸けなく、ふと、そんな昔の情景が瞼に蘇った。

■鶏卵をコンコンと割って白身を小さなボウルに捨て、黄身だけを白い小片口に取る。下総の醤油をちょいと垂らす。酒のあと稍あって、飯椀の白的の中央に窪を穿ち、輝玉をそっと安置する。目を細めて思わずニンマリだ。この国の誇るべき発明である――と儂は確信する。(白状すると、玉子の生食を若い頃は何故か蔑視していた。抵抗なく口にするようになったのはずっと後のこと。残った白身の処理を解決できぬまま、黄身のみを食するのもほんの数年来のことである)。

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