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「いちどに二百グラムも使うんじゃ、作れない」
私はピカン・パイのレセピを手に言った。
「悲鳴ね、まるで」アミが笑った。
「笑いごとじゃないわよ。バターの量を心配するなんて。戦争中じゃないんだから」私は声を高めた。

そう。バターの使い過ぎを気にするのは、コレステレールや、太り過ぎへの配慮であって「バターが手に入らない」からじゃない。ところが、それが起きているのだ。バターが店頭から姿を消してずいぶんになる。
なかでも一ポンド(四百五十グラム)の無塩バターが貴重品になった。このサイズには加塩バターもあるけれど、フランス料理とお菓子には、無塩でなくちゃ。
「ヘンね、最近」嵐のまえの灰色の雲を空の隅に見て〈異変〉を感じたのは、去年の十一月。カッパ橋の店で、気軽に一ポンドの無塩バターの冷蔵棚を見たら、空だ。「あら、ないの?」と驚くと、店の主人が「いま、入荷が少ないんですよ」と奥から一つ取り出してきて、そっと手渡した。なんだか、モノ不足の戦争中みたいだ。主人は言った。
「バターは儲けが少ないんで、生乳がだぶついた一昨年、酪農家が牛を殺しちゃったんです。そしたら去年が猛暑でしょ、生乳が例年の六割しか獲れなかった。で、いまバターが足りなくなったんです。いえ、チーズやミルクはあるんです、バターより利潤が高いんで造ってるから」と言う。
「一ポンドバターを使う家庭は少ないんじゃない?お菓子つくるうちや、外国人」私は首をかしげた。
「レストラン、お菓子屋は業務用の大容量のを使うでしょ。もしか彼らが、家庭用を買い始めたのかな?」
「あれなしじゃすまないから、一ポンドの無塩、買っとかなくちゃ」アミと顔を見合わせたのは、並木の薮に座ってから。浅草は高速料金がかかるから、カッパ橋と薮のおそば、セットにしなくちゃ。
でも缶詰とちがってバターを、そう長期にはストックしておけない。冷蔵庫の棚もすぐいっぱいになる。うちでは四匹の猫のためのイリコとオカカもストックしてるから、スペースは貴重なのだ。

次の警鐘は、十二月だった。バターやチーズがいつも潤沢に置いてある麻布ナショナルで「バターは一人五個までにしてください」と一ポンドバターの棚に貼り紙してある。あれ、と驚いた。でも二人だからと十個も買ったら、ほかの人が困るだろうと、四つ買った。
そして一月。山が減ってきたバターの棚に「一人二つにお願いします」の貼り紙。店のひとがどこそこの「ホテルが今日焼くお菓子のバターがない! て言ってきて、うちから回したんですよ」と打ち明けた。いよいよバター戦争だ。

新聞にバター不足がちらほら出始めたのは、私たちが気づいた時期より、ずっと遅い。二月、三月にちらほら。そしていまやっと、日経の経済記事に補助金と輸入関税とバターの関係が載った。このタイムラグは、バターとのかかわりが、日本の家庭ではお醤油や油にくらべると少ないせいもあるだろう。

和風料理ならお醤油がいのち、ポピュラーな炒めものやフライには、油が絶対。冷凍やファストフードに頼り、お菓子は買うだけならば、家で使うバターは、加塩の半ポンドバター二百グラムの平たい箱入りを、パンに塗るぐらいだ。でもフランス料理を作るなら、圧倒的に無塩バター。そして始めに書いたように、お菓子にはさらにたくさんのバターがいる。
アミがコンピューターから顔をこっちへ向けた。
「例の〈Canadian Girl〉が、バターをうちで作ったって、ブログに書いてるわ。四月初めよ」
アミの手元をのぞきこんだ。都下に住むカナダ女性"Blue Lotus"は、面白いので彼女はときどき見ている。このひとはバターが突然、店から消えて困ったあげく、戦争中にお母さんがバターを家で作ったことを思い出し『大草原の小さな家』の愛読者でもあったから、バター作りにチャレンジした。
二百ccのクリームを買って、箱にビー玉を一つ落し、目玉クリップで蓋をしっかり閉めて、手で揺する。ビー玉の手応えが、バターへの変身を教えてくれる。元気づけに強いコーヒーを飲んで揺すりつづけるうちに、バターになった。これは英語。最近は、日本語のバター作り法をグーグルで見られる。

バターなしのデザート、バヴァアロアとオレンジケーキでがまん


なんだって、私たちはバター不足に悩まなければならないの? バターがじき増える予想はない。輸入品のバターは関税と税金の二重取りで、ものすごく高い。国産も値上がり。ミルクは充分あって、チーズもあるのに、バターだけない! まして無塩の一ポンドは貴重品だ。

これもそれも、生乳がだぶついた二〇〇六年「頭数調整」と称して農家に乳牛を殺すよう、農水省が奨励したからだ。酪農家はバターはメーカーに買いたたかれる、餌代も上がってるしと、それにのった。そこへ〇七年の夏の異常な暑さに、牛が乳を出さなくなり、外国でも暑さで生乳の生産が減った。でも農水省は、何の対策もしなかった。バター不足は、日本の農政の無為無策の結果だ。

日本のジャーナリズムもノラクラだ。「バターの生産を調整して不足が起きた」「バターの減産」など、私の知っている限りでは、無難に書くだけ。なぜはっきり、ほんとの理由を書かないの?「ミルクが余る、バターは儲からない、だから乳牛を大量に殺した」。屠殺して、市場に出して、ハンバーグで食べちゃったんだよ! いまさらあわてたって、乳牛に仔を生ませ、それがミルクを出すまでには三年かかる、当分、だめなんだ――とはっきり書くべきだ。

なぜ農家は、政府の言うことをきいちゃうの? と、北海道の竹田津実さんにきいたら「日本の農業はいつもそうなんだよ」「補助金がわるい、政府が奨励することをやれば安心と農民は幻影を抱く、実際に損失を保障なんかしないこと知ってても」。補助金が農業をダメにするという批判は、アメリカの学者も指摘する。でもこれを機に、バター用生乳をメーカーに買いたたかれず、酪農家に利益がいくようになり、外国バターの輸入関税が低くなり、手の届く値段になるなら「塞翁が馬」じゃないかしら?

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