No.258







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●鄙の地で「何処かに泊めてもらえるかなァ」と行きずりの人に尋ねると「ほら、あの人に話してごらん」と指差して、そんな家を教えてくれたりした。まだ民宿が出現する以前、若かった儂はそんな風にしてよく民泊したものだ。たった数百円の礼金である。それでも採算を度外視した御馳走で持て成してくれた。弁当を頼むと、赤ン坊の頭(おつむ)ほどの大おむすび三個を持たせてくれる(弁当分だけで宿賃をオーバーしている)。山でもだが、海辺では更に龍宮気分だ。民宿が普及すると、民泊の延長でそちらもよく利用した。宿のオバアチャンの手料理がいい。“お袋の味”ってやつ(儂のオフクロとはレパートリーが違う)。その屈託のない味わいに目覚めた。だがそれも僅かな期間で世代交替となり、年差もない“姉貴の味”になってしまった。まるでTV料理だ。それが苦手で民宿は卒業した。あれから幾星霜、食を取りまく世界も変わった。食とパラレルに日本語も変わった。儂が言うのも変だけど何だか可笑しい。

▲食習慣は保守的である。神代の昔から中国や朝鮮の影響を少なからず受けてきたはずなのに、和食の特異なアイデンティティは揺らぐことなく続いてきた。各地のコミュニティ毎に神様があって、神様の恵みに感謝し、また予祝する。(儂にはそんな体験が無いのだが)御馳走を供え、後に直会を戴く。その献立にこの国の食の基本が凝縮・反映されてきたはず。
それを疎にすると、この国の神様は祟りますゾ――。

■机上の小さなTVを点けた。(笑いを誘うつもりなのか)TVに出る人はみな変な箸の持ち方をする。一口頬張って「ウ〜ン・シーシー」なんて叫ばないでもらいたい。トイレじゃないんだから…特に若い女性は。大変だよ、この国は!

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