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スーパーマーケットは、日本のわりと新しい文化。青山に紀ノ国屋ができたのが一九五三年、やがて麻布ナショナルスーパー。どっちも家に近く、ほどよ いサイズも好きで、私は楽しんで利用した。「誰にも」アクセス可能なスーパーは、ダイエー、ヨーカ堂、西友などで一九五七から五八年にかけて生まれた。
私が留学生だった一九五〇年代の後半に、新しい巨大スーパーの進出は、アメリカでも家庭の話題だった。広大なパーキングロットの真ん中に、ガラス張りの巨大な店がきらめいていた。

いま日本も、同じような巨大スーパーの時代だ。軽井沢には巨大スーパーがあるから、見てお勉強と、つい数日まえ軽井沢で二軒スーパーにはいって、びっくり仰天。レジが十も並ぶ広い店は、向こうの端なんか「山の彼方」で見えないし、足がわるかったら途中で座りたくなるほど、棚の列も長い。
生ニク、生サカナ、冷凍エビ、お刺身、お寿司・・・を並べた棚は、街でいえば電柱数本分の距離ぐらい長々と伸びている。でもウォッチしていると、そこでカートにとっているお客はあまりいない。
「こんなすごい量のニクやお魚、一日でどのぐらい売れると思う?」私はアミに囁いた。人々は、セールのラーメンや冷凍食品に惹かれていく。
「明日もこのまま売るんじゃない?」とアミ。
「軽井沢の人口なんていくらもないのに、この量」
広い地域に散らばる定住者が約一万八千人。夏場は別荘と観光客で増えるにしても、外食やファストフードに頼る人が多いから、たぶん日々、売れ残りが山と出るにちがいない。ニクに製造日は付いているけど、何日、置いて売るつもりなの? 

私の行くナショナルでは、ニク類のパックに製造日が明記してあって、翌朝、前日のにはディスカウントの札を貼る。良心的な商売だ。一日遅れのニクは、家庭の冷蔵庫でも同じ目にあってるわけだから、私はよろこんでとる。だから店側は、売れる数をつかんで、できるだけ当日売り切れるように適量をパックで出す。それ以外は塊から、ブッチャーに直接カットしてもらう仕組みだ。

広大なスーパーのニクとサカナの棚を見て、日本の異常さに呆れた。貧困と飢えに悩む国があるのに、なんという贅沢と無駄。そしてこの無思慮、無謀な売り方が、日付け偽装、付け替えや、古いニクの還流・悪用につながったのだ、と思いあたった。
しかもこの大量販売は軽井沢だけじゃない、全国似たり寄ったりのはず。岩手県の一関市で、十年以上まえ同じ大量方式を見て驚いたことがある。

ミートホープの偽装・還流を思いついた社長は、永年日本のスーパーのこのやりかたを見ていて、回収した古いニクの利用を思いついた〈天才〉にちがいない。もしかして、この大量売れ残りは、生鮮食品の流通業界では、常識なのかも? これをどう処理しているのだろう? 私たちはよほどしっかり目を見張って、アタマを使って暮さないと、悪知恵の業者にだまされそう。

「海にいたかった、ちゃんと食べてね」


ウソをつくほうが悪いにきまっているけど、それにやすやすとひっかかるのも、市民として情けない。だってそれは、社会の常識に照らして、自分のアタマで考えていないしるしだから。
ミートホープにはじまって、最近じゃ、うなぎ事件があった。「四万十川のうなぎ」、実は在庫さばきの、中国産。でも、なぜ四万十川のを食べたいの? 「天然」に惹かれて買ったら、ぜんぜん別ものだったという事件もある。なぜ天然に惹かれるの? 希少価値の品が異常に安いときは「理由は?」「ヘンじゃない?」と疑うのがあたりまえ。合成抗菌剤漬けのうなぎ蒲焼きのニュースもある。

東京では、野田岩のうなぎがいちばん好きだ。その野田岩は堂々と養殖を使っている。蒲焼きの決め手は、たれの味と焼き方で産地じゃない。養殖うなぎは、質が同じで一年中、味が安定している。
一方天然ものは非常に高価、かばやき一人前、ミニマム七千円はする。ある春うなぎ好きの父親に飯倉の野田岩から天然ものを取り寄せたら「今日のはおいしくない」と残してある。驚いて野田岩に電話すると「春先は天然ものは脂がのってない、養殖のほうがいいんです」という説明に、ひとつ覚えた。

この一年半、食については、だます業者、だまされる消費者の縮図を見させられて、うんざり。日本の業者は、良心も、商のモラルもゼロなのか? でもこれも実は、日本人のブランド志向のせいかもしれない。たとえば世界的ブランド、富裕層相手の商売をするカルティエやルイ・ヴイトンが、あらゆるデパートにショップを出し、銀座にも表参道にもあるなんて。表参道は、カントリーから原宿に遊びにくるビンボーな若者の街。痩せたポケットから、店のいちばん安い品を買って満足する。店にしてみれば「ネギ・鴨」の商売だ。
これが食べ物にまで蔓延してるのが、いまの日本。せめて、日々の食べ物ぐらい、もう少し自由に考えたらどう? 言い方を変えれば、インテリジェンスを働かせること。地球の未来を視野において、食べ物の常識、そして日本的な固定観念を変えること。

魚でよく聞かされるのが「天然もの」「近海もの」。これが魔法のように働く。おいしいんだな! と私たちは思ってしまう。ノーノー、これは魔術オンリー。手品師の戸棚の、扉を開けると美女が消えるようなもの。現実には、日本産のあさりや近海ものの魚は、海の汚染でよごれてるかもしれない。底近いところに棲む貝類は、海の汚染のなかで育つのだ。これが第一。

第二は、地球存続のために、いま私たちは、海洋資源の保護をしなければならない。知識があるなら、実行しなくちゃ。養殖ものを受け入れることだ。いま世界中で、進んだ養殖技術で、魚を生産している。海水を汚さず、バクテリアにもつよいオーガニックな混合飼料で、ハワイ沖の水中ケージでカンパチ、ノルウェイではサーモンがつくられている。寄生虫がいなくて安全だ。天然の魚や、捕鯨で殺してまでクジラを食べなくてもいいじゃない? 牛もヒツジも、天然モノじゃないんだよ!


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